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日本史関連の記事

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#戦国百人一首

弘智の辞世 戦国百人一首95

弘智(?-1363)は厳しい修行の末に即身仏となった。 「即身仏」をご存知だろうか。 途中で投…

上杉謙信の辞世 戦国百人一首94

戦国武将を語るときに、この人物を忘れるわけにはいかないだろう。 信濃の覇権を巡り武田信玄…

三好実休の辞世 戦国百人一首93

室町幕府第34代管領細川晴元に仕えた、三好元長の次男として誕生したのが三好実休(1526か27-1…

大内義隆の辞世 戦国百人一首92

戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏…

安藤九郎左衛門の辞世 戦国百人一首91

1566年、上野国の箕輪城は武田信玄の軍による総攻撃で落城した。 安藤九郎左衛門(?-1566)は…

戦国百人一首 あと十首

「戦国百人一首」もあと10首を残すことになった。 誰もそんなことなど気にしてないかもしれな…

駒姫の辞世 戦国百人一首90

戦国の世には理不尽な死も多く見られるが、彼女の死もその一つである。 わずか15歳のおいまの方、通称駒姫(1581-1595)の生涯は、あまりにも早く幕を閉じてしまった。 この辞世を理解するには少々説明が必要だ。 まず、この辞世には、こういう前文が付いている。 駒姫が言っている「五つの障り」「五常のつみ」「五つの徳目に背いた罪」とは、「五障」という仏語のことである。オリジナルの釈迦の教えにはない、鎌倉以前の一部の仏教の宗旨として説かれていた女性差別の考え方だ。仏教が大陸から

佐々成政の辞世 戦国百人一首89

武将・佐々成政(さっさなりまさ/?-1588)は、尾張国春日井郡の在地豪族の家系出身である。 …

蒲生氏郷の辞世 戦国百人一首88

織田信長に見出され、豊臣秀吉を大いに助けた戦国武将、それが蒲生氏郷(1556-1595)だ。 洗礼…

少弐政資の辞世 戦国百人一首87

1441年、播磨守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)が、有力守護を圧迫する将軍足利義教を謀殺し…

高橋紹運の辞世 戦国百人一首86

豊後国を中心に勢力を伸ばした戦国大名大友宗麟は、家臣に「風神・雷神」を持っていた。 「雷…

諏訪頼重の辞世 戦国百人一首85

信濃の戦国大名で、諏訪氏第19代当主だった諏訪頼重(すわよりしげ/1516-1542)。武田信玄に切…

安国寺恵瓊の辞世 戦国百人一首82

安国寺恵瓊(あんこくじえけい)(1539–1600)は臨済宗の僧侶である。毛利家の一外交僧から豊…

太田道灌の辞世 戦国百人一首81

武将であり学者であり、非常に優秀だったと言われるのがこの太田道灌(おおたどうかん)(1432-1486)だ。 いわゆる戦国と呼ばれる時代のほんのスタート時期に活躍した人物である。 彼は、風呂場で主家によって謀殺されるという悲劇に見舞われた。 かかるときさこそ命の惜しからめ兼(かね)て亡き身と思ひ知らずば 前々から死んだ身と思い知っていなければ、こんな時には命が惜しいと思うだろうが、(戦に明け暮れ)もとから命は無いものと覚悟している自分は、惜しいことだとは思わない。 太田