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日本史関連の記事

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#辞世

北畠親房の歌 戦国百人一首98

南北朝時代に書かれた歴史書『神皇正統記』全3巻。 その著者が公卿の北畠親房(1293-1354)だ…

弘智の辞世 戦国百人一首95

弘智(?-1363)は厳しい修行の末に即身仏となった。 「即身仏」をご存知だろうか。 途中で投…

上杉謙信の辞世 戦国百人一首94

戦国武将を語るときに、この人物を忘れるわけにはいかないだろう。 信濃の覇権を巡り武田信玄…

三好実休の辞世 戦国百人一首93

室町幕府第34代管領細川晴元に仕えた、三好元長の次男として誕生したのが三好実休(1526か27-1…

大内義隆の辞世 戦国百人一首92

戦国時代の末期、現在の山口県南東部にあたる周防国の官僚大内氏は、近隣の少弐、大友、尼子氏…

安藤九郎左衛門の辞世 戦国百人一首91

1566年、上野国の箕輪城は武田信玄の軍による総攻撃で落城した。 安藤九郎左衛門(?-1566)は…

戦国百人一首 あと十首

「戦国百人一首」もあと10首を残すことになった。 誰もそんなことなど気にしてないかもしれないが、まあ、note worldの中のごく一部の存在であるし、自分が好き勝手にやっていることなので、承知の上である。 「戦国百人一首」なんてずいぶん勇ましいネーミングなんだが、終わるのに時間がかかっている。 少し忙しいとnoteへの投稿が後回しになるもので。 「戦国百人一首」では、戦国時代に生きた人々の辞世やそれに代わるもの、そして彼らにまつわる話を紹介してきた。 中には100%正

駒姫の辞世 戦国百人一首90

戦国の世には理不尽な死も多く見られるが、彼女の死もその一つである。 わずか15歳のおいまの…

佐々成政の辞世 戦国百人一首89

武将・佐々成政(さっさなりまさ/?-1588)は、尾張国春日井郡の在地豪族の家系出身である。 …

蒲生氏郷の辞世 戦国百人一首88

織田信長に見出され、豊臣秀吉を大いに助けた戦国武将、それが蒲生氏郷(1556-1595)だ。 洗礼…

少弐政資の辞世 戦国百人一首87

1441年、播磨守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)が、有力守護を圧迫する将軍足利義教を謀殺し…

高橋紹運の辞世 戦国百人一首86

豊後国を中心に勢力を伸ばした戦国大名大友宗麟は、家臣に「風神・雷神」を持っていた。 「雷…

諏訪頼重の辞世 戦国百人一首85

信濃の戦国大名で、諏訪氏第19代当主だった諏訪頼重(すわよりしげ/1516-1542)。武田信玄に切…

安国寺恵瓊の辞世 戦国百人一首82

安国寺恵瓊(あんこくじえけい)(1539–1600)は臨済宗の僧侶である。毛利家の一外交僧から豊臣秀吉の側近へとのし上がり、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の首脳として、石田三成、小西行長らと共に京都の六条河原で斬首された。 清風払明月 明月払清風   清らかな風が明月を払い清め、明月の光が清らかな風を払い清める 彼の辞世は、対句となった漢文である。清廉な夜空の明月の光があり、そこに清らかな風が交錯するように吹き過ぎる秋の夜を詠んだ。 これは原因が結果となり、結果が原因となるそ