明智光秀の辞世 戦国百人一首㉙
明智氏は美濃の土岐氏の支流であり、さらに遡れば清和源氏につながるということだが、明智光秀(?-1582)自身は出自や青年期の行動がはっきりするほど高い身分ではなかったと考えられる。
心しらぬ人は 何とも言はばいへ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ
私の心の内を知らない者は、何とでも言うがいい。
この身など惜しくはない。名誉を失うことも惜しくはない。
光秀は斎藤氏に仕えたあと、苦労を経て織田信長に仕官した。
高給待遇を受けた信長の元では、順調に出世して近江国坂本を与えられ、