天草四郎の最期の言葉 戦国百人一首⑦
天草四郎(1623?-1638)は、『戦国百人一首』の時間軸から少し外れるが取り上げることにした。
日本最大規模の一揆である島原の乱は、幕末の動乱以前では最後の本格的内戦だからである。
そして天草四郎は、島原の乱の中心人物だった。
今籠城している者たちは来世まで友になる
天草四郎、天草四郎時貞の名で知られる彼の本名は、益田四郎である。
キリシタンで、洗礼名は最初ジェロニモだったが、のちにフランシスコに変わった。
関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れたキリシタン大名・小西行長の家