大内義長の辞世 戦国百人一首73
戦国百人一首72で紹介した大内晴持に続き、同じ大内義隆の猶子(養子)となった大内義長(1532-1557)。
ただし、彼の場合は晴持のときほど恵まれた条件での親子関係ではなく、その短い生涯も悲劇的である。
誘ふとてなにか恨みん時きては 嵐のほかに花もこそ散れ
人に誘われて死に追いやられても何を恨むことがあるだろう。
時が来れば、花というものは嵐が吹かなくても散っていくものなのだから。
義長は豊後国のキリシタン大名・大友宗麟の異母弟であった。
さて、大内義隆は1543年