見出し画像

ケイオスシーカー

混沌から産まれ、混沌に還る世界。無為に続く永遠を観察し続ける存在・ニャルラトテップの端末である奏氏は、砕かれた神・ハスターを操る少女アスキスと出会う。
地球に顕現し、人類を実験材料にする30柱の神の殲滅を目的とする、神智学研究所と争う彼女は、同時に緑の月の神を崇める教団とも対立する。
神の実験を完遂させるため、教団を裏で操る神智研の狂える科学者・宮坂。儀式により召喚される緑の月の神アキシュ=イロウを、アスキスは奏氏を介して引き出した混沌の力で砕く。
片腕を犠牲にしてまで戦う理由がただ一人の想い人のためだと知りながら、奏氏は彼女に叶わぬ恋心を抱く。

第3話 神を狩るもの

 アムリタを飲み込んでしまわないよう、もがく僕の前に、逆さまにソーマが浮かぶ。

「大丈夫。怖くないよ。みんな一つになれば、悩みも苦しみも無くなるんだから」

 儀式の時より、少し子供っぽい語り口。驚いて空気を吐き出してしまうが、苦しくない。口内からも鼻腔からも、直接甘く爽やかな感覚が広がって行く。

「ほらね。わたしの神様は酷い事なんかしないもの。奏氏は何を悩んでいるの?」

 無邪気な笑顔。僕の悩み? 僕は何を悩んでいるんだろう……

「そう、記憶が無いの」
 心配そうに眉をひそめるソーマ。

「でもね。記憶なんか無くったって、一つになればみんなの想い出が奏氏の想い出だよ。怖いのも不安もすぐになくなっちゃうよ」

 満面の笑みで両手を差し伸べる幼い巫女。

「さあ、心を開いて」

            §

 目の前にアスキスが浮かんでいる。

「何でお前が泣くんだよ」
 ぶっきら棒に毒突く黒衣の少女。

「泣いてるのはアスキスの方だろ」
 この強情っ張りめ! それとも、自分で気付いていないのか? 

「もう止めても良いだろ。世界を一人で背負い込む必要はないよ。ジジとか、他の連中に任せればいい。神智学研究所は、そのための組織なんだろ?」

 僕の言葉じゃないけれど、僕が言いたかった言葉。……本当に?

「はあ? 世界? 何言ってんだお前」

 顎をしゃくり下目使いで、心底侮蔑したように吐き捨てる。

「あたしはあたしの為に神殺しをしてるんだ。千年物の狂人の為にでも、ましてや顔も知らない連中の為でもない。どうでも良い他人の為に命を懸ける程、あたしは酔狂じゃない」

 鼻を鳴らしてそっぽを向く。眉根にしわを寄せ、その碧の瞳には強い光を浮かべ。どうしてその顔を歪めてばかりいるんだ? 笑えば良いのに。その貌に微笑みを浮かべれば、どんな男だってたちまち恋に落ちるだろうに。もっと華やかな服を着て、流行の映画でも観て。それなのに、戦って、戦って。傷だらけになって、夢にまでうなされて。
 白い手と銀色の髪が脳裏をよぎるも、意識の端に追いやって見ないようにする。

「それでも、神々の顕現を許したら、世界の有り方が変わってしまう。アスキスだって無関係でいられないじゃないか」

 気付くと、白衣の男が語ったのと同じ言葉を口にしている。アスキスが信徒でも、ただの贄である事も拒絶するなら、結局は抗う者として――

「一番欲しい物が手に入らない世界には、意味なんかないんだよ!」

 全てを拒絶する激しい意志。
 たった一つのものを強くただ強く渇望する。

 銀貨。

 銀貨銀貨銀貨。

 優しい銀貨。綺麗な銀貨。

 無様に壊れて擦り切れて。
 全てを無くして消えかかっていたあたしを、
 繋ぎ止めてくれた暖かい手。

 あたしだけの銀の月。

 大切な。とても大切な。

 たった一つの。

 閉じ込められていたアスキスの想いが溢れ出してくる。
 全部解ってしまった。いや、僕が見ようとしなかっただけだ。 
 今まで解らない振りをしていたものが、残酷なまでに詳らかにされる。
 アスキスはただ一人、あの銀色の少女の為だけに戦っている。

 なんだ。傍若無人で傲岸不遜。忌神の残骸に飲み込まれかけながら、それでも踏ん張って神を毀して歩く。
 いつも強気な無敵の魔女、そう思っていたのに。これじゃあ大事な物を失くして泣いてる、ただの子供じゃないか。

「何でお前が泣くんだよ」
 ぶっきら棒に毒突く黒衣の少女。

「泣いてるのはアスキスの方だろ」
 繰り返されるやり取り。永遠に交わらない平行線。

 それでも、その失くしたものが、自分の存在全てを投げ出してでも取り戻したいものだとしたら。切り離されても求め合う、半身とも言うべき存在だとしたら。

 どうしてそれは僕じゃないんだろう。僕ではその代わりにはなれないのか。

 僕では無い僕が、狂おしいまでの僕の煩悶を、同情するでもなく嘲笑するでもなく。冷静に観察し続けている。

 この少女には大事な人がいて、その人はもう半ばこの世界の存在じゃない。
 勝てっこない。
 いつの間にか僕は、この小さな魔女に――

            §

 巨大な水球が、不意に重力のくびきを思い出したかのように崩れる。
 地面に投げ出された僕は、咳き込みながら肺にまで浸入したアムリタを吐き出す。

「何で邪魔するの!?」

 緑の月の神の巫女が、驚きと共に非難をぶつけてくる。でも、何で僕になんだ? アスキスじゃないのか?

 黒衣の魔女は風を操りドレスを乾かすと、左手を腰に。右手を突き出し、決め顔で巫女を指す。

「誰を相手にしてると思ってるんだ、小娘!? あたしを相手に精神戦なんざぁ、100年早いんだよ!!」
「この……化物ッ!」

 ソーマの胸で小瓶が輝きを増し、上空でハスターと喰らい合う緑の月が、翠に輝く雨を降らせる。それを浴びた月詠の、信徒たちの目が翠に輝き、人間離れしたスピードでアスキスに襲い掛かる。

「上等!」

 獰猛に嗤うアスキスの操る風が信徒達をなぎ払う。ハスター自身がその力を行使しているためか、広範囲でも強力でもない。魔女はダンスでも踊るような軽やかな動きで信徒達の攻撃をあしらいながら、その拳に風を乗せ月詠を吹き飛ばし、その足に風を纏い付かせ信徒を蹴り飛ばす。地を這い獣じみた動きで死角から襲い掛かろうとしていた信徒は、使い魔が放つ高圧の空気の塊で弾き飛ばされた。僕は巻き添えにならないように逃げ回るだけで精一杯だ。

「……やめろ! 来るな! ……来ないで!!」

 信徒を蹴散らしながら歩み寄る魔女に、へたり込み引きつった悲鳴を上げる巫女。

「温いぞ、小娘。お前らの神、アキシュ=イロウの力はこの程度か?」

 もはや会場に立っている者はゴスロリの悪魔のみ。信徒達は水溜りに突っ伏し、意味不明な呻き声をあげるか、泥の中で壊れた機械仕掛けのようにのたうつ事しか出来ない。全身を小刻みに震わせ、目に涙を浮かべて悪魔を見上げるソーマ。

「助けて……お姉ちゃん!」

 追い詰められたソーマが思わず上げた声に、意識を取り戻したセブンライブスが反応する。だがもう、銃を構えるどころか立ち上がる事さえままならず、アムリタで出来たぬかるみの中でもがくのみだ。

「たすけて!! かみさま!!」

 幼い巫女の絶叫に、地上に近付きつつある緑の月が偽足を伸ばす。

「甘えんな小娘!」
「ひうっ!」

 そのさまを眺めていたアスキスが、巫女を見下ろして一喝。怯え切ったソーマは喉の奥で悲鳴を上げる事しかできない。

「あたしは魔女だ。お前のような巫女とは違う。神に選ばれたんでも、悪魔に誑かされた訳でもない。自ら選び、全て知った上でなお、そうありたいと願った存在だ」

 黒いゴシックドレスの肩の部分を突き破り、古木の枝のようにも、翼のようにも見える器官が形成される。それからも、ドレスの袖口からも、純白の羽根が零れ落ちている。宮坂は、屍骸であろうが欠片であろうが、神はそこに存在するだけで、周囲に影響を及ぼしてしまう存在だと言った。アスキスは力を使いすぎた代償に、侵食されかけているのか?

「お前は選んだのか、巫女としてそのあり方を。応えろ!」 

 幼子そのままに、いやいやをするソーマ。異形と化した魔女の姿を目の前にし、人である事を捨てるまでの覚悟は出来なくなったのだろう。

「……もう……止めてくれ……」

 泥塗れになりながら、必死ににじり寄ろうとするセブンライブスが声を上げる。

「……おね……ちゃあん!!」

 手放しで泣き出しながら、銃使いに駆け寄り縋り付くソーマ。その身体もペンダントトップも、すでに翠の輝きを失っている。此処からでは、アスキスがどんな表情を浮かべて二人を見ているのか、うかがい知る事が出来ない。空から伸ばされかけた緑の月の偽足は、対象を見失ったかのようにさ迷っている。

「まだだ! 私は未だ何も目にしていないぞ!」

 教団施設の屋上で宮坂が叫ぶ声が響く。

「いあ・いあ! あきしゅ=いろう! 私に、私だけにこの先を見せてくれ! お願いだ!」

 慟哭にも似た祈りを込めて、哀願する白衣の男。ポケットから取り出した翠色の小瓶を飲み干し、神に手を伸ばす。

 ああ。この人は智ってしまった神が怖くて怖くて。
 神そのものになりたかったんだな。

 ただ真っ直ぐに狂った宮坂の願いが通じたのか。緑の月アキシュ=イロウは、その偽足を白衣の科学者に差し伸べた。

 歓喜に震え、神の手に縋り付く宮坂。だが、その表情は筆で刷いたかのように掻き消され、翠に輝く偽足は男をゆっくり取り込んだ。

「選ばれてもいない人間が、神に触れてタダで済むわけ無いだろ」

 哀れむような魔女の声。

「……宮坂さんは?」
「アキシュ=イロウに意識を吸収され、溶けて拡散したんだろ」

 アスキスは、セブンライブスに縋り泣き続けるソーマと緑の月を見比べて、何か思案している。しばらく動きの無かった緑の月は、その姿をゆるゆると変え始める。薄く広く。無名都市の上空に、翠に輝く海が出現した。ハスターが旋回しながら風で落下を押し留めているようだが、合間を縫って偽足を伸ばし、倒れた信徒達を拾い上げて行く。

「めんどくせえな」
 舌打ちする魔女。

「どうなってるの!?」
「あのおっさんの願いが少しは叶ったて事だろ……だとすると少々面倒だな」

 ぽつりぽつりとだが、アムリタの雫が落ち始める。迂闊にも触れてしまった僕は叫び声を上げた。緑色の触手に頭の中を掻き回され、隅々まで蹂躙される感覚。さっきのアムリタに取り込まれた時は、人間であるソーマが仲介したからあの程度で済んだのか。

 痛い。冷たい。おぞましい。

 今夜二度目でなかったら、そのまま狂気に囚われていたかもしれない。たった一滴でこれ程の影響を受けるのに、今や街全体を覆い包むほど広がったあの翠の海が、豪雨と化して落ちてきたら――

「緑の月の神の実験は、巫女を失った時点で失敗とみなして良いよな?」
 
 頭を抱え蹲る僕に、アスキスが問い掛ける。

 何の話だ? 何で僕に訊く?

(……………………)

「よし、それじゃあこれは後始末だ!」

 困惑する僕を尻目に、一人で納得したゴスロリの悪魔は邪悪な笑みを浮かべ、その左手でがしりと僕のこめかみを掴む。

「痛い! 痛いってば!」

 僕の上げる抗議の声をまるで聞かず、アスキスはどこか愉しげに叫ぶ。

「そんじゃあ派手に行くぞ!」 

 僕の脳内にアスキスの意識が潜り込み、凌辱を開始する。

 
 黒い沼。
 深海都市。
 髑髏の壁。
 凍て付く山。
 赤錆た廃都。
 砂漠を歩む葬列。
 吊るされた無数の遺体。
 紅い月に吼える、三つ脚の黒い獣。

 僕の脳裏を走る、様々な滅びのイメージ。
 知らない世界の終末の姿のはずなのに、何故だかその総てが懐かしく、愛おしかった。

 アスキスが緑の海に右腕を振りかざすと、神だった存在はあっけなく砕け散り、そのほとんどは地上に辿り付く前に黒く腐り落ちた。

「アスキス! ……腕が」
「うん? ああ」

 差し伸べた右腕も肩口から腐り落ちているが、さして気にした様子も無い生返事が返ってくる。

「さすがのあたしでも、神は滅ぼせない。砕いただけだ」

 振り返り、不敵な顔で笑ってみせる。

「右腕一本でそれが叶うなんて安いもんだろ。なあ、奏氏」

 白く輝く月の下、異形の残骸が舞いながら破片を捕食している。その翼からは、輝きを増した純白の羽根が撒き散らされる。

 舞い降る羽根の中、月影に浮かぶ異形の少女を眺めながら。
 僕はどうしようもなく、この小さな魔女に心奪われている事を自覚した。

 新聞には相変わらず物騒で不景気な記事ばかり載っている。
 あの夜の召喚事例は、表向き、教団内部でのボイラー火災という事に落ち着いたようだ。死者が20人以上出たらしいが、同じ日に起こった学校の崩壊事件のせいで扱いが小さい。皆大きな事件に慣れ過ぎている。

 朝からため息が出る。玄関ロビーの自販機で買った牛乳を飲み干すと、僕は星審の寮を後にした。

 今日も朝から日差しが強い。

 地球温暖化だの避けられない食糧危機だの少子化だの時間単位で絶滅してゆく種だの無差別殺人だの。

 また嫌なニュースでいっぱいになりかけた頭を、軽い柔軟運動でリセットする。額に汗が浮かぶが、やっぱり身体を動かすのは、精神にも良いらしい。

 前から軽快な足音が響いてくる。星審の初等部の制服を着た、アーリア系の女の子。褐色の肌に、夏の日差しに負けない元気な表情を浮かべて駆けてくる。プールの日か何かだろうか。そういえば、初等部や中等部の校舎は無事だったか。

 笑いかけ、軽く僕に手を振る少女を見送ってから、再びゆっくり歩き出す。やっぱり子供は元気だ。僕にはこの暑い中、走り回る体力は無い。

 パンを買いに入ったやなせベーカリーで、ジジと出会う。
 まだコート姿だが、それには触れない。本人は頑なに暑くないと言い張るし、あまり強く脱ぐ事を勧めると、なんだかセクハラをしている気分になるからだ。

 クリームパンの籠はいつものように空っぽで、僕はいつものようにあんぱんを三つ買う。店を出るとジジが待っていてくれた。

 抱いているのはもちろん、クリームパンのぎっしり詰まった紙袋。表情の乏しい顔に、やや得意げな気配を感じたが、気のせいか。飲み物を買い、歩きながら話をする。

 宮坂は儀式の前に、研究資料をすべて破棄していたらしい。
 おっとり刀で駆け付けた神智研の召喚事例対策班は、緑の月の神の欠片どころか、宮坂に任せっきりにしていた全ての関連資料を確保し損ねたという。
 そのおかげで、巫女の力を失ったソーマは自由の身になれたのだから、彼は彼なりに考えがあったのかもしれない。

 あの人は、最期に神と一つになれて、幸せだったんだろうか。

「ねえ……、アレから連絡はまだ入らないの?」

 物思いに耽る僕の脇腹を、ジジがつついて来る。

「あれから? 海の藻にくっついて来る、小さな甲殻類?」
「……それは破殻。端脚目ワレカラ科の甲殻類の総称。海産で、主に海藻の間にすむ。体長数センチの細長い円筒形で、胸部は七節からなり、第三、四節を除く各節から細長い付属肢が一対ずつ伸びる。第二節のものははさみ状。ちなみに、秋の季語」

 丁寧に突っ込んでくれる。冗談だと理解出来ていないのかもしれないが。

「『我からの 音を鳴く風の 浮藻かな』 ……だったかな?」

 ジジの目は笑っていない。気まずい沈黙が続く。

「……あの子はどこなの?」
「『あのこ』だと、主に幼児や女の子を指す言葉だけど、『おのこ』だと成人男性を指す言葉に早変わりするんだね。ふしぎ!」

 脇腹をつつく物がいつの間にか短剣に変わっている。ジジの目は笑っていない。こわい!

 誠心誠意、心の底から謝って、何の連絡も無い事を正直に話す。あれから何度も同じ様なやり取りを繰り返し、僕がアスキスに関して触れたがらないのを知っているから、ジジもそれ以上追求はしてこない。

 名前を出すのさえ嫌なのに、そんなにアスキスの事が気になるのか。二人の少女が、正確にはどんな関係なのか、未だに理解出来ない。

 黒衣の魔女はあの夜、使い魔を伴って空に消えたっきり姿を現さない。まるで正義のヒーローのようだと、口にしかけて考え直す。あれは悪魔だし、たった一人の為にしか戦っていないのだから。

 不意に黙り込んだ僕を気遣うように、ジジが覗き込んでくる。

「……お互い片想いは辛いね」

 安心させようと軽口を叩いたら、首筋にナイフが飛んできた。皮一枚でかわすが、ジジの目は相変わらず笑っていない。手加減してくれているのは判るけど、刃物で突っ込むのは止めようよ。

 途中でジジとは分かれる。今日は検査の日だとか。

 一人でいると、しきりに接触を試みてくる道化が煩いが、何も考えずにやり過ごす。
 あれもアスキスの存在に興味を持ったらしく、他の端末にも頻繁に検索を掛けさせている様子だ。

 これとしてではなく、僕自身の意思で、その結果を見ないようにしている。
 混沌の意思ニャルラトテップにとっては、どうせ全てが戯れなのだから、僕のこの行為も気まぐれだ。

 ジジが昨日また校舎を半壊させた。夏休み中に復旧が済むか、怪しくなってきた。

 夏休みに入ったからそれ程用が無いとはいえ、寮暮らしでお小遣いも潤沢ではない僕にとっては、学園で時間を潰せないのは痛い。バイトの申請をしたら、許可は下りるだろうか。

 事件のせいか夏休みだからか、月に一度の検査が週二回になったのが面倒だ。以前のように拘束されないだけましかと自分を慰める。

 あれから一ヶ月。僕は毎日坂を登って公園へ向かう。

 朝食としてあんぱんを一つ食べ、そこで図書館が開くまで時間を潰し、午後まで本を読む。おやつ代わりに二つ目のあんぱんを食べ、最後のあんぱんは、寮に持ち帰り、夜になってから食べる。いつも通りのルーチンワーク。いい加減食べ飽きたが、僕は頑なにあんぱんを食べ続けている。

 坂を上りきった先。小さな広場の隅にある東屋のベンチには、当たり前のような顔をしてアスキスが座っていた。

「よう童貞。あんぱん買ってきたか?」
「なんで童貞って決め付けるのさ!?」

 声の震えを悟られないよう、僕も当たり前のような顔をして返す。

「違うのか?」
「……すみません。見栄を張りました……」

 手の震えに気付かれないよう、当たり前のように紙袋を差し出す。

「三つか。じゃあ、あたしのは二つだな」
「最後のは半分こにするんじゃないの!?」

 空のままのドレスの右袖が揺れ、そこから白い羽根が一枚零れ落ちるのを、見ないふりをする。

 手足の一本くらい、簡単に生やせるって言ってたじゃないか。この意地っ張りめ!

『この子をお願い』

 あの時、銀色の少女に頼まれたからでも、端末としての役目でもなく。

 僕は僕として、この小さな魔女を見守ろうと心に決めた。

                       ep. Myth Taker END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?