子どもの自立はどのくらい必要でしょうか?

子どもへ自立を促し
1人でできるようになってほしいっという
ミッションを与え
それがクリアできれば
よくできたねと褒められる
ひとりでできるもんっと得意げに言う子ども
可愛らしい光景です

共働きの環境で育つ子どもは
大人が帰ってくるまでの間に
洗濯物をいれる
お風呂を掃除する
ご飯を炊いておくなど
成長すれば夕飯の準備なども手伝うようになる

家族みんなで協力するはとても大切なことだと
思うけれど
子供のうちは子どもらしく生活するのも
大切なのではないかと感じる

大人になればすべて1人で
生活をせざる終えないのだから
子どもの時くらいは甘えさせても
いいのではないかと思う

たまに手伝うとか自ら手伝ってくれた
などといった行いならいいのだろうけれど
ウチは共働きだから
兄弟のお世話から家事をしなくてはいけない
それでいいのだろうか?

お兄ちゃんお姉ちゃんにもやりたいことは
あるはずで
それを言えずに
ウチは共働きだから仕方がないと
片付けていると
子どものうちは仕方がないと受け入れる
しかし
成人し同じ立場になると
あの時はなぜ  ボク 私  が1人でお手伝いを
しなくてはいけなかったのだろうか…
ほんとはしたいことがあったんだよなっと
いう気持ちに気づく

本当はしたくなかったんだ
もっと子どもでいたかったと思ったとしても
もう大人になった今では子どものように
甘えることもできないし
時間が戻ることわけでもない
それを
どうやって癒せばいいのだろうか?


子どものうちは
誰かに頼ったりゆっくりと教えてもらったり
特別な存在として甘えたりする中で
心は満たされるのではないのだろうか

子どもの頃に自立心を促しすぎて
子ども時代に子どもらしく過ごせなかった人は
心が満たされているのだろうか?

子どもの時に未熟で無知でいることは
恥ずかしいことではなく
ありのままの姿ではないのだろうか
できないと思うよりも
いつかはできるようになると
自分のペースに任せる


子どもの頃に甘えたり頼ったりしながら
過ごせた人は、きっと
甘えられたり頼られたりすることに
寛容になれるはずだ
甘えてもいい頼ってもいいんだよと
自分に許可をしているのだから

そんなにがんばらなくても大丈夫だよと
弱さも強さも備わっている人は最強なのでは
ないだろうか

弱さをみせ
取り繕うことはないだろうし
つよがることもしないはずだ


我慢をして本音を言えなかった子どもが
成長し
誰かに頼ったり甘えたりできるのだろうか?

本当の気持ちに蓋をした子どもが
健やかに過ごせるのだろうか?

我慢をしていた子どもは
素直に甘え頼る誰かと
心から歩みあえるのだろうか?

きっと心のどこかで
甘えてんじゃねーよっと叫んでいるはずだ
お前みたいな人は大嫌いなんだと
いっているはずだ

それは
甘えたくても甘えられなかった自分を
許せないのだ
嫌いなのはこの人ではなく素直になれなかった
あの頃の僕で
もっとこの人みたいに甘えればよかったなぁと
受け入れたのならば
我慢をしていた子どもの自分が
プシューと消えてしまうはずだ


今からでも遅くない
甘えてみようよっと自分を自分で
抱きしめてあげるのが1番の癒しなはずだから

目の前の誰かは
自分でも気づかない感情を
教えてくれる大切な人かもしれない
嫌いな人ほど憎き人ほど
その可能がある


嫌いな人をみて
「もしかして本当はこういう風に生きたいと
思ってたもう1人の自分なんじゃないか」と
捉え方を変えてみてみると
蓋の中にいたもう1人の自分が
やっと気づいてくれましたねと
あなたに幸せを届けてくれるかもしれません


#子どもの自立
#甘え上手な人
#我慢しない

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