映画怪獣G子ちゃん OP 1995年

いつも情報遅くなるのですが、明瀬企画YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCNHHFCm6YAgbHjJ-THh9suA?sub_confirmation=1


明瀬の監督作品「映画怪獣G子ちゃん」のOPをUPしました。
この作品、前にもちょっと触れましたが、

 かつて、横浜にあるケーブルTV局で放送されていた(1995年~1998年)
「アマチュアビジュアルショックG」という自主製作映画の紹介番組がありました。
当時は、ネットもまだよちよち歩きで、SNSもなく、当然、動画サイトなどもありません。

 もし自分で作品を作って発表する機会があるとすれば、TV枠でちらっと紹介されるか、雑誌で取り上げてもらうしかなかった時代でした。そんな中で、ケーブルTVとはいえノーカットで放送する番組は画期的な試みだったわけです。

 当時そんな番組のイメージキャラクターを作ろうという話になり、生まれたのがこの「G子ちゃん」というキャラクターです。本人こんな姿をしてますが、「怪獣」です。本人がそういってるのですから間違いはありません。怪獣ですからやることなすこと、ろくなことになりません。そんなやんちゃな子が自分の映画を作ろうとするお話です。
一話約5分最終回だけは15分になり全5回放送され、横浜の地元イベントなどでも愛嬌を振りまいておりました。

 最初は、まず月一5分のコーナー企画を「素人」にできるのか?という意見も局内にはあったようです。当時の自主映画は8ミリフイルムがまだ主流の時代で、現像に1週間待たねばならない場合もあり、局が難色を示したのも無理な話ではありません。
 何度も「本当にできるのか?」と聞かれたことを思い出します。
8ミリ、16ミリはコストがかかりすぎるので捨てていたので
ビデオでの制作で、ということで
ならなんとかなるんじゃないと ディレクターさんの後押しもあり制作が決定しました。

僕はもうその当時で、東映を皮切りに、プロの作品を150本以上、ドラマ、映画、カラオケビデオ、なんでもやり、末席のスタッフではありましたが、どうすれば短期間で仕上げられるかは熟知していたのと、当時実家のある富山県と石川県で映画製作団体をやっていて、15分~30分程度のドラマ作品を地元の学生さんを中心に年4本体制で制作していたのでまあ、なんとかなると大見得きってはじめたものでした。
撮影は、富山県、石川県、神奈川県の3県にわたり短期集中で終わらせ
編集は公共施設をつかい毎日閉館まで粘り倒して編集を続けました。
毎月のように、局納品のために富山県から8時間かけて車で着ぐるみとともに入り、番組収録後また車で帰るという生活が続きました。

 今思い返せば、番組には全国から、のちに大手TV局のドラマディレクターになった人、誰でも知ってるアニメ作品のCGクリエイターになった人、世界を股にかけて活躍するアニメ監督になった人などなど。それぞれ今でも活躍や活動しているクリエイターの方々が若き日、月一ペースで集まるという番組でした。いまだに何人かとは時々会ったり、手伝ったり、SNSで近況を知らせあったりする仲の人もいます。

この作品、雑誌「宇宙船」でカラー特集が組まれその後、「インディーズムービーフェスティバル」というレンタルビデオ化の20本のうちの一本になり全国のレンタル店2000店舗以上におかれ、10年近くビデオ店に置かれていました。1998年には正月特番として1時間枠で「G子ちゃんとあそぼうゲロゴリポン」を制作し、その後は、日本初の被り物系アイドルとして、TVチャンピオンやニュース23、Vシネマなどにも出演。2000年頃まで活動を続けました。

放送から20有余年を経て昨年DVD化
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KG6H8GZ/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_qY8cDb8Z6Z073

また「G子ちゃんR」としてキャラクターとしても復活、活動を続けています。

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