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つれづれ雑記*飛梅、飛松、飛竹の話*

 飛梅伝説をご存知だろうか。

 菅原道真公。平安時代の貴族。
 幼少の頃から文才に秀で、長じてからはその才を愛した当代の帝に重用されて破格の出世をした。
 結果、周囲の妬みを買い、謀叛の濡れ衣を着せられて九州の太宰府に左遷、いや、実質流罪の憂き目に遭う。

 道真公は九州に発つ前、屋敷の庭の梅の木に向かって、あの有名な和歌を詠む。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなきとて春な忘れそ
(現代の文字表記にしています)

 道真公が太宰府へ去った後、この梅の木は公を慕って京の屋敷の庭から遥か遠く九州の太宰府まで一晩で飛んだ、と言われている。

 伝説は伝説。
 だが、太宰府天満宮には樹齢千年とも言われる白梅の木があり、これがその梅だとされている。

 さだまさしさんの作品にもこの梅を題材にした「飛梅」という歌があり、ご存知の方も大勢おられると思う。

 菅原道真公は後世、学問の神様として崇められるようになり、全国に道真公を天神として祀る天満宮はたくさんある。
 そして、道真公が九州に向かうときに立ち寄ったゆかりの地として、近畿にはこれまた数多の史跡や地名が残っている。私の住んでいる地域にもたくさんある。
 綱敷天満宮、板宿、休天神、等等。
(ご興味のおありの方は、よかったら検索してみてください)

 家族で天神さんの話をしていたとき(どういう流れでそんな話になったかは記憶にない)、飛梅伝説の話になった。
 娘らが「梅の木が九州目指して空中を飛んでいる図を想像すると、健気なんだけどちょっと笑ってしまうね」と言う。

 まあ、確かに。なかなかにシュールな眺めと言えなくもない。
 
 「貴族のお屋敷の庭だったら他にもたくさん木が植えられていただろうに、梅だけなのね、飛んできたのは」
 松竹梅、という言葉もある。他に松とか竹とかもあったのではないか。
「梅にだけ歌を詠んだから、他の植木は拗ねちゃったんじゃない?」
 そんな女子高校生みたいなこと。(女子高生の方、読まれていたらごめんなさい。単なるたとえです)

「梅に続いて飛んではみたけど、遠いから途中で落ちたとか?」
 確かに、あり得なくもなさそうだ。松の木は梅よりも重量がありそうだし。
「竹はさ、飛びやすそうだし、張り切りすぎて九州を超えて東シナ海まで飛んじゃったとか」
 そこまで来ると、まるで漫画だけど。
 
 それまで黙って聞いていた家人が
「そう言えば、友達の実家の近くに『飛松』というところがあったな」と言った。

 神戸市の須磨に飛松という町があるそうだ。

 娘たちが色めき立つ。
「ほらほら、やっぱりさ、菅原さんち(知り合いか)の松の木が梅に続いて飛んで、須磨のあたりで落ちちゃったのよ。少しばかし諦めが早い気もするけど」
「飛ぶには松は重過ぎたんだねー」
「ちょっとかわいそうかも」
 ……などと言い合っていた。

 ところが後で調べてみると、冗談ではなく、本当にそんな伝説が伝わっていた。
 
 道真公の屋敷の庭には、梅以外に松や桜の木も植えられていた。
 公が太宰府に発ってしまった後、梅はその後を追って九州へ飛んだが、桜は悲しみのあまりに葉を落とし枯れてしまったそうだ。  
 しかし、松はなぜか平気なふうで知らん顔をしていた。
 それを漏れ聞いた道真公は

梅は飛び桜は枯るる世の中に
何とて松のつれなかるらん

と詠んだという。

 え、道真公って、こんなに、その、めんどくさ、いや、寂しがり屋だったのか。

 この歌が本当に道真公の作かどうかはともかく(諸説あるようだ)、これを聞いた(?)松は奮起して九州へ向かって飛んだ。が、いかんせん、松は重かった。須磨の辺りで力尽きて落ちてしまい、そこで根付いた。
 そこが後に「飛松」と呼ばれるようになり、その松が根付いた場所には神社が建てられた、と言う。

 なんとも残念というか、かわいそうになる伝説だ。
 しかも、この飛んできたと言われる松は、後に落雷で枯れてしまい、切り株だけになってしまったと言う。今もその切株は神社に祀られている。
 雷と言えば、雷神、つまりは天神だ。道真公のことを指すこともある。
 重さに耐えきれず不甲斐なくも途中で落っこちてしまった松は、道真公のご不興をかってしまったのか。
 そう考えるとますます、松が哀れな気がする。

 ちなみに東シナ海まで飛んだのではないかと思われる(?)飛竹の伝説は伝わっていないようだ。(当たり前か)

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