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番外編【創作】Ⅶ

 この物語はフィクションです。
 質屋なんて、今のお若い方々はご存知ないでしょうね。私も行ったことはないのですが。
 質屋にもいろいろある、かもしれません。
 ご利用の際は用量用方を守ってくださいね。


*質流れ*

 カウンターの向こうで熱心に腕時計を調べていた店主はやがてルーペを置いた。青いクロスで時計を丁寧に磨き、布張りのトレーの上に戻す。
 はめていた白い手袋を外しながらこちらを向いた。
「とても大切にお使いだったようで。傷もありませんし」
 カウンターに置かれた大きな電卓のキーをパチパチと叩く。
「そうですね。このくらいならばご用意できますが」
 そう言いながら電卓の表示をこちらへ向ける。
 俺の落胆が伝わったのだろう、店主は苦笑いした。
「品物はとてもいいのですが、このタイプは大量に出回っておりますのでね。どこでもこのくらいだと思いますが」

 それはそうだろう。おそらくそうだろうなとは思ったが、のっぴきならない事情で急な入り用があり、申し訳ないとは思いつつ親父の形見を持ってきたのだ。
 まあ、そんなに高値がつくような高級な時計を買えるほど裕福な家でなかったことは俺が1番よくわかっている。

 必要分には少し足りないが、まあ、仕方ないか、などと考えていると店主がまた声をかけてきた。
「なんでしたら、別の物でもよろししいですよ」
 別のもの? そんなものがあれば持ってきている。
「質草と言ってもいろいろございます。形のあるものばかりとは限りませんので」
 そう言って、訳知り顔でうなずいて見せた。
 えっ。形のないものって何だよ。
 俺はちょっと後退りする。
「ああ、ご安心ください。決して、内臓とか角膜とか、そんな剣呑なことを申しているわけではございませんから」
 いや、俺もそこまでは考えてなかったけど。
 店主は眼鏡をかけて帳簿をあちこちめくつていたが、やがて顔をあげてこちらを見た。
「例えば、声です」
 声?
「先ほどからお聞きしていますが、あなたのお声は大変いいお声です」
 はあ。そんなこと、言われたのは初めてだが。
「聞く人の信頼を呼び起こす、いかにも誠実そうなお声です。そのお声でしたら」
 店主はまた電卓を引き寄せてキーを叩き、表示をこちらに向ける。
「このくらいはお貸しできますが」
 その額はさっきの親父の時計のときの2倍近かった。
「いかがでしょう。あ、もしかして、何かお声を使うお仕事をされているとか?」
 俺は首を横に振った。俺は小さな会社で事務をしている。
「声がないとご不便でしょうから、代声をお出しします。そんなには選べませんが、まあ、そこそこ似たような声をお出しできると思いますよ」
 代声? そんなものまであるのか。
「もちろん、利息を払っていただければ質草は流れることはありませんし、元利ともにお支払いいただければいつでもお返しします」
 店主は、どうだ、というようにまたこちらを見てにっこりと笑った。

 
 というわけで、俺は声を質に入れた。出してもらった声は前のものより少し掠れ声だったが、そんなに違和感はない。
 ときどき「風邪、ひいてる?」とか聞く者もいたが、そのうち誰も、そして俺自身も気にしなくなった。

 最初のうちこそちゃんと利息を払っていたが、だんだん面倒になってほったらかしになり、やがてすっかり忘れてしまっていた。

 それから半年以上が過ぎたある休日の朝、俺は台所でコーヒーを淹れていた。
 つけっぱなしのテレビでは報道バラエティ番組をやっていた。
 司会のアナウンサーが何やら深刻な顔で話をしている。
「…と、いうことで被害が広がっています」
 
 何でも、電話を使った詐欺が横行しているらしい。言葉巧みに高齢者や女性から大金を騙し取っているとか。
「被害に遭われた方々への取材によると、ここまで被害が広がったのはこの犯人グループの中にとても人好きのする声の持ち主がいるから、ということです。穏やかな語り口で話されるとついうっかり信じてしまうのだとか。私も声を使う仕事をさせていただいている者の1人として、本当に許し難いことだと、憤りを感じております」
 人好きのする声ねえ。そんなもので騙されるものなのか。
「…たまたま、ある被害者の方がその犯人の声を録音していたそうです。特別に警察の許可を得て、ここで公開します。皆さん、よくお聞きになってくれぐれも用心なさってください」
 
 どれどれ、どんな声なんだ。そんなに誰もが騙される声って。
 俺はコーヒーを口に運びながらリモコンで音声を大きくする。

 やがてテレビから流れてきた声を聞いて、俺は思わずコーヒーカップを落としそうになった。
 それは半年前に質入れした俺の声だった。
 …あの、たぬきオヤジめ。
 
 俺は、質屋の店主のうさん臭い微笑みを思い出していた。


            (了)
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#質屋
#くれぐれも御用心