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🔷理不尽な【確率】と、どう仲良くするかという話🔷

嘘じゃなくホントの話なんですが、
ここ最近、スロットの
【銭形4(ルパン三世の台です)】で、
当選率が約36%の抽選を、
11連続でスカっています😭
(⚠️デカチャンス成功時のビッグゲーム抽選のことです⚠️)

11連続ですよ?!
成功率36%の抽選を、
11回連続で外すんですよ!?

これ、
普通に計算すると、
36%を11連続で外す確率は
【0.73%】なので、
まあかなり不運な部類ではあるのですが、
こういう事象に対して、

『有り得ない!店の遠隔だ〜!!ヽ(`Д´)ノ』

とか、

『顔認証システムで俺をピンポイントで殺しにきてる!!((;゚Д゚)』

などという発想にすぐに至ってしまう方が、
少なからずおられますが、
それはもう[確率の揺らぎ]を理解していない完全に負け組の発想ですし、こういう思考でいるうちは【確率】と対峙して勝つべくして勝つことは絶対に不可能だと思います。

なので僕はこういう時、
『まぁそら、こういう時もあるもんなぁ〜』
という感じで無理やり納得します。

ただし、
店が遠隔をしていなくても、
パチスロの神が遠隔を仕掛けて僕を殺しにきているのは間違いないので、
見た目はすごく冷静な顔を装いながら、
しばらく目をつぶって心の中で【エアー台パン】を何度も繰り返したりはします😫


ちなみに、
【36%の当選率を11連続でスルーする】
なんて、
『ちょっと有り得ないくらいに不運だ〜!』
と思いがちですが、

少しイメージをひっくり返して、
【64%の連チャン率の台で11連チャンした〜!】
と考えると、
『わりと起こり得るな〜』
と、
少しは思えてきたりしませんか?

人間は、
自分にとって都合の良い事象に対しては幸運の度合いを過小に評価して、
そういうラッキー的な要素を【己のヒキ】という概念に置き換えて
『これも自分の実力のうちだ』
と考えてそれら幸運な出来事を
【有難い出来事】という記憶としてあまり残さず、

逆に、
自分にとって都合の悪い事象に対しては不運の度合いを過大に評価して、
そういうツイていない不運な要素をとても強い【被害者意識】で捉えて、
『自分はなんて不運なんだ』
とそれら不運な出来事を【有り得ないほど不運な出来事】としてとても強く記憶に刻みつける傾向があります。

そして、
こんなことを書いている僕自身もいつもこういう葛藤と戦っています。

で結局、
僕がなにを言いたいかと言いますと、

なんというかまあ、
とにかく生きていればみんなそれぞれ色々あるわけですが、
なにか『不運だな〜』と感じる事があった時には、
『まあこういう不運なこともあるよなぁ〜。あんまり憶えてないけどラッキーな事もあったもんな〜』
と、少しでも軽く捉えて生きられたらなぁと、
そんなふうに思います。

とにかく、『不運だ不運だ』と思い詰めて考える事自体が、とても心に負荷を与えますし、苦しくなりますので、できるだけそういう負荷を与えないように、
できるだけ、
♦️【ラッキーな事は、『ありがたい』と感謝して大きく喜ぶ】
そして、
♦️【不運な事は、『大した事ないさ』とやり過ごす】
そういう思考パターンで暮らしていけたら良いな〜と、
思っています😊

【赤サイ🎲】

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