KinKi Kidsが25周年を迎えた件について

私が初めて買ったCDは、KinKi Kidsの『硝子の少年』で、初めて入ったファンクラブも、初めて行ったコンサートもKinKi Kids、初めての推しは堂本剛くんだった。
その頃は小学3年生〜6年生くらいだったと思う。光一くん推しの友達と、放課後の掃除の時間に窓を開け、二人で『愛されるより愛したい』を歌った記憶がある。まだ雪は降ってなかったけど、うんと寒くて、夕日に照らされた白樺が見えたのを覚えていた。
確か、KinKi Kidsのファンクラブに入って2年目の夏だと思う。真駒内屋外競技場で行われるコンサートに、ファンクラブの親子席でチケットを申し込んだら、スタンド席の1列目が当たった。花道の真ん前の席。その時流行っていたキャミソールをどうしても着たくて、でも札幌の夏の夜なんて涼しいからキャミソール1枚なんかじゃ耐えられなくて、デニムのシャツを羽織っていた。公演中、なかなかKinKi Kidsの2人は目の前に来てくれなかったけど、確か暗転後のアンコールで、明るくなったら目の前に剛君がいた。大きな声で叫んだことを覚えている。

そんなにKinKi Kidsが好きだったのに、中学受験をして、学力の高い中学校にうっかり入学してしまってからは、それどころじゃなくなってしまった。皆勉強ができるから私は落ちこぼれで、成績なんて下から数えたほうが早かった(多分一番下だったと思う)。勉強についていくのに必死だったし、通学に1時間以上かけてたし、テレビを見なくなり、KinKi Kidsとも疎遠になっていった。
高校では、部活が忙しくなったし、勉強も必死だったし、まわりに馴染もうと必死だったと思う。大学はお金がなくてテレビが買えなかったし、生活費を稼ぐために必死でバイトしてたし、社会人になったらなったで仕事漬けの生活だった。「変な人」と思われたくなくて、自分でもよく分かってない「普通」を目指すのに一生懸命で、でも「普通」になれなくて、満たされない心をモノや酒で満たそうとしていた、そんな13歳〜30歳だった。

その間、剛くんが難聴になったり、パニック障害を起こしたことは、なんとなく知っていた。知っていたけど、もう自分以外の誰かに興味を持つことがとても大変で、そんなことをできないほど、私は結構疲れていたのだと思う。私のキャリアだけ見たら立派かもしれないけど、まぁまぁ生きづらくて、結構苦しくて、心が欠けて干からびているような感じだった。

でもそれが、たまたま夫が人生のパートナーになってくれて、たまたま猫2匹が家族になってくれて、大樹町に引っ越して、組織に所属せず(会社員ではないということ)、人との距離感を保てる生活を送るようになってから、少しずつ心が潤ってきた。心の欠けていた部分が、どんどん埋まっていく実感があった。そうしたら、子供の頃に好きだったことを思い出すようになった。例えば、クラシックバレエとか、スキーとか、かぎ針編みとか。どんどん心が蘇っていくような、そんな感覚だった。

心に余裕が出てきた、ということなのかもしれない。そんな時、KinKi Kidsが結成25周年だったことを知った。違法だと思うけど、InstagramのリールでKinKi Kidsが出ているテレビ番組の一部が流れてきて、よく目にするようになった。10歳の私が憧れていたKinKi Kidsは、今もKinKi Kidsだった。YouTubeで楽曲を聞いたけど、相変わらずのKinKi Kidsだった(歳を重ねて素敵になっていた)。多分いろいろあった25年だと思う。特に剛くんファンとしては、突発性難聴になって完治は難しいとか、過呼吸とか、パニック障害とか、多分本当に大変だったと思うんだけど、きっと光一くんと二人で手を取り合い、KinKi Kidsを続けてきてくれたんだと思う。それがもう本当にありがたくて。私が25年で失って取り戻して生き返ったときに、KinKi KidsがKinKi Kidsとして存在してくれているということが、本当にありがたかった。

もう一度、KinKi Kidsのコンサートに行きたいな。今はもうファンクラブ会員じゃなくなっちゃったから、当選すら難しいのかな?D album以降買えてないから、追いかけるの大変だ…でも少しずつまた聞こうと思います。25年もKinKi Kidsを続けてくれた2人に感謝の気持を込めて、少しずつできる範囲でお金落としていこうと思う。そして30周年はファンとして胸を張って、お祝いできるといいな。


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