涙の不思議-泣きたい時に涙が出ないのはなぜなのか
皆さんこんにちは。Pinkです。先日父の誕生日でした。生きていれば81歳です。
最近夢に出てきたこともあり、私は父が亡くなってからずっと気にしていることがあったので、これを機に「note」で書いてみたいと思いました。
突然の出来事
それは本当に突然の出来事でした。父は、「脳内出血」で長年闘病していていたのですが、リハビリの成果もあって、装具を付けて歩くことも出来、麻痺していない左手で運転をして、車にも乗っていました。
歳を重ねていく中で、自宅での生活が難しくなり、祖母が入所していた同じところに入所して車椅子となり、少しだけ耳が遠くなった以外は「ジグソーパズル」が大好きな元気のいい人でした。
ところが、母から連絡をもらい病院へ行くことに。ほんの1週間前には、私は行けなかったけれど、母と姉が面会に行ったばかりでした。「コロナ禍」の時です。父は元気にしていて、話も出来たそうです。
しかしその後、少し前から胸が苦しいということで、施設から同じ敷地内にある病棟へ移った父は、意識はあるものの、話すことは出来ず病室のベットに寝ていました。私のことが分かっていたかどうかは分かりません。
医師によると、難しいとのことで姉達もすぐに駆けつけました。
それから4日も経たないうちに、父は亡くなりました。
そこにいた誰もが、一瞬呆然とした後、悲しみ、泣きました。
ところが、私は涙が出なかったのです。その時は、あまりに突然のことで、実感がないからなのだと思っていたのですが、1人だけ冷たい人間に思えて、悲しくなりました。
父の葬儀での話
とてもありがたいことに、大勢の人が父の「葬儀」に来てくれました。自分でいうのも恥ずかしいのですが、いつも父の周りには人がいて、賑やかだった記憶があります。
しかし、まだ「コロナ禍」ということもあり「家族葬」だったので、「葬儀」の前後にお参りに来てもらうようにお願いをし、「葬儀」には親族以外、本当に父と仲の良かった友人数名が参列することになりました。
姪と甥が受付をしてくれたのですが、近所の人の顔は分からないし、母は「葬儀」の途中で具合が悪くなったりしたので、姉にお願いをして、私は受付に顔を出し、来てくださった方へ挨拶をしたりと、バタバタしていました。
私の中学時代の友人達も、忙しい中「斎場」へ来てくれました。その時に、若くしてお父さんを亡くした男友達が、涙が出ないことを気にしている私にに言ってくれたのです。
「今は気が張ってるんだと思うよ、ふとした時に急にガクッと来るから気を付けてね」
と。その言葉を聞いて、腑に落ちました。
そうか、私は泣けないのではなくて、我慢しているのだと。
今思うと不思議なのですが、「葬儀」の間、私はずっと暖かいものに包まれているような感覚でいました。もちろん悲しいのですが、穏やかな気持ちでいることが出来たのです。
父が側に居てくれたのではないかと思います。
最後に
今回、「note」を書いていると、なぜか不意に涙が出そうになりました。
もしかしたら、未だに父の死を受け入れられなくて、時が止まっているのかもしれません。あるいは、久しぶりに父のことを色々思い出したからでしょうか。
実は、私は悲しくなるのが嫌で、父とのことを思い出したり、考えるのをあえて避けているところがあります。泣きたいのに涙が出ない、泣けないという人は意外といるのではないかなと思いました。
しかしそれは、決しておかしなことでも、冷たい人間だからでもないと思います。不器用なだけなのかもしれません。
以前、「note」で父のことを書いた記事になります。よかったら読んでみて下さい!
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こちらでも記事を書いているので、よかったら読んでみて下さい!
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