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「TANOSHIKA CREATIVE」 での一年

皆さんこんにちは。Pinkです。今回はいつもと違う形で記事を書きたいと思います。

ライターとしての私

TANOSIKA CREATIVE」 でライターの仕事を始めて一年が経った。思い返せば一年前、見学・体験を通して、私はどうしてもここで働きたいと思った。

コーディング」や「デザイン」は難しくて出来ないけれど、書くことが好きな私は、ライター業務であれば頑張れると思った。昔から書くことが好きだったから。

ただ心配だったのは、自分の年齢と「適応障害」。新しい環境や人に慣れるまでに時間がかかる上、新しいことを始めるには歳を重ね過ぎていたから。「双極性障害」もある私は気分の浮き沈みが激しく安定しない。

でも、その心配は杞憂に終わる。

初めはiPadの使い方も素人同然で、ライター業務で文章を書く以前に、頭を抱えることも多かったけれど、自分の子供でもおかしくない年齢のメンバーさんの協力と、支援員さんのサポートのお陰で、少しずつ使いこなせるようになった。

題材を見つけて下書きをし、完成したら支援員さんに見てもらい、OKが出たら「ワードプレス」で編集。あとは、支援員さんの最終チェックがあり、「AKARI」へ投稿される。

この「ワードプレス」も曲者だった。きちんと手順を踏んでやれば大丈夫なのに、説明書を読むのが苦手で、行き当たりばったりで進めてしまうという性格が災いした。

今ではとても便利なものだというのが分かるし、こうして世の中の皆んなが、「ブログ」や「サイト」に投稿しているのかと思うと、便利な世の中になったなと思う。

AKARI」に記事を投稿するようになった私は、まるで水を得た魚のように、すらすらと記事を書くことが出来た。

最近では、こうして「note」にも記事を投稿するようになり、また、事業所の「広報誌制作」にも関われるようになって、充実していた。はずだった。

それは今、最近新しい記事の題材を探すのにも苦戦し、書くことが難しくなってきたから。やはり、勢いだけでここまでやって来たことが原因なのかもしれない。他のライターのメンバーさん達を、改めてすごいと思った瞬間だった。

と同時に焦りも出てきたことは隠しきれないと思う。いつもの私なら「続けていくのが無理かもしれない」と落ち込むけれど、この一年で「TANOSIKA CREATIVE」で働く心地よさみたいなものを感じていた私は、辞めたくないと思った。

作家と比べるのはおこがましいけれど、プロの人だってスランプはあると思う。それを乗り越えての「大作」が生まれるのではないだろうか。

私も、一年経った区切りとしてこの記事を書いているわけだけれど、これからは、また新たな気持ちで、記事を書き続けて行きたいと思う。

こちらでも記事を書いているので、よかったら読んでみて下さい!

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