「非属の才能」めっちゃいいから読んでほしい。。。


非属の才能 (光文社新書) 

山田 玲司 

■「非属の才能」は漫画家 山田玲司先生の著書である。

 この本を勧めるのは、何が正しくて何が間違っているのか分からない現代に非常にマッチした本だと思うからだ。

こんな人にオススメの本。

・自分が何者なのか?

・所属や肩書きに縛られていていいのか?

・なぜ自分は生きているのか?

・自分のしたいことはなんなのか?

こんなことを考えている人には是非読んでほしい。(すみません、玲司先生的には「援軍なきエジソンやトットちゃん」だとは思いますが。)

もしかしたらその答えのヒントはこの本にあるかもしれない。

 先ほどの問いに当てはまった方々、なんと朗報です。「非属の才能」が今ネットで全文公開しています。しかも期間限定ではないらしい。まさに「非属」でかっちょええ。

 著者山田玲司先生は私が尊敬している漫画家である。

詳しいことはWikipediaや山田玲司のヤングサンデー(有料放送もいいぞ〜)を視聴していただけたらよく分かると思う。

(「"絶望に効くクスリ"」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。" 2018年2月11日 (日) 23:41  " UTC)

 その約100人目のオノ・ヨーコさんにインタビュー中、“非属”という概念を思いついたのらしい。

■才能というものは、どこにも属せないみんなと違う感覚にある

 様々な取材を通し山田玲司先生がたどり着いた結論がこれだった。しかし、日本の学校についてこんなことも指摘しているのだ。

『日本の学校でいちばん学ばされることは「立ち位置の取り方」だろう』
『そこで行われている学習内容については、親も教師も「受験に合格するため」という合意がほぼ完璧になされているため、「生きることの意味」や「なぜ学ぶのか?」「自分とはいったい何者なのか?」などといった本質的な疑問を追求する本来の学問の姿からはほど遠い』(『非属の才能』「考えない」ことが求められる学生時代)

 だから「受験に合格していい会社に入る」ことを教えこまれることで「どこかに属さなければならない感覚」を自然と持ってしまっているのではないだろうか。

 日本の学校では「属せない感覚」はほぼ矯正される。その感覚を表に出すと「協調性がない」とか言われ、問題児扱いされる。そこに属せない人はのけ者にされ、孤立してしまう。それが日本の「群れの文化」である。学校のクラス人数が40人なのはかつての軍隊の小隊の数が40人だったから説にはゾッとした。いつまで群れの文化を引きずればいいのか。

 今までなんとなくうまくこなせた人ほど「自分は何になりたいのか?」「幸せに生きるにはどうしたらいいか?」を考えてしまうのではないか?もうこれは本人だけの問題じゃなくて日本のせいでもあるのでは…。

■最後の章「重なるところで共感し、重ならないところで貢献する」が私にとってのヒント

私は現在デザインの勉強をしている。

そこでどんなデザインでも大事だと考えているのは、「共感」と「新発見」のバランスである。

例えば、電車にも乗ったことがない人が、電車乗車アプリを作ることは不可能だろう。電車に乗っている人が感じている問題や、気づいていないがこれは問題だろうといったことに気づかずにスルーするかもしれない。

だからといって、共感するだけでは同じような製品を作ることになる。そこで登場するのが「非属の感覚」に近いものではないだろうか。

 私が今後「群れずにつながる」ために大事にしたいのは、みんなと「普通の感覚」を持ちながら自分の中の「特別な感覚」をバランスよく持つことである。

世の中に、みんなに問いを与える本

 世の中に問いを投げかけるモノを作る点においては漫画家、作家、脚本家、映画監督、デザインも本質的な境界線はそんなに無いんじゃ?と思う私です。

気になった方は是非買ってください。(これ表紙じゃなくて「全部が帯」なんだ)

そしてヤンサンやCICADAもチェックしてみてください。



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