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負の側面にも光を当ててあげること

最近、僕の中にある負の側面に目を向けて、それを出していくことによって起こった変化について書こうと思います。

負の感情に蓋をしていた

最近NVC(非暴力コミュニケーション)のダンスフロアというワークをやって。
簡単に言うと、最近自分が誰かとの間でモヤモヤしたことについて、
「非難・評価の声を出す」
「(評価・判断なしの)観察」
「(その時湧き起こった)感情」
「(その時満たせなかった)ニーズ」
「(自分・相手・その他の人)へのリクエスト」
のフロアを移動しながら、ぶつぶつつぶやきながら自分を見つめていくというもの。

この中で実際に最近僕が活動している中ですごくお世話になっている人へのモヤモヤを嘆いてみて。
3人1組でやって、終わった後に見ていた他の2人からのフィードバックをもらったのだけど、
その中で
「りんって全然その人に対して悪口言ったり、責めたりしないよね。」
「全部自分の問題にしていて、優しいなぁって思った」
「私だったらもっと嫌いとか言っちゃいそう」
といったことを言ってくれる人がいて。

それを言われてみて、
「いや、俺だって相手に嫌だって思っているくらいことあるよ」
「もっと相手がこうだったら…とか思ってるよ」
「そんなただの良いやつじゃないよ」
といったことを思った。

それなのに、確かにそういった言葉が全く出てこなかったことに自分でも驚いて。
ここ最近は自分のそういったブラックな面にも目を向けたいと思っていたはずなのに、全然出てきていなくて。

怒り・憎悪・悲しみといった負の感情、批判・非難・悪口といったものに普通にしていたら無自覚に蓋をして、抑え込んでいたことに気づいて。
本当は感じているのに。
これまで「良い人であろう」「優しい人であろう」としてきた結果、
もう自動的にそういったものを抑えてしまっている自分ができてしまっていた。

そんな自分に気づいて、もう一度同じテーマで同じワークをやることになって。
今度はもっと感情的に、意識して悪口とか非難の声をあげてみた。

そしたらなんかもうそれだけでめちゃくちゃスッキリして、エネルギーが湧いてきちゃって。
そしてその人に対する見方も変わって、「こんなリクエストをしてみたら良さそう」みたいなものが自然に湧いてきた。

この体験から、
自分にとって今どれだけ、本当は感じている負の感情を「嘆く」ということが大事だったかがわかって。
「良い人であろう」「対立を生んではいけない」といった思いから、
そういった感情を避けるためにものすごいエネルギーをつかっていたことに気づきました。

ともにいられないものを避ける大変さ

自分にとってそういった怒り・憎悪・悲しみといった負の感情や批判・非難・悪口といったものは「ともにいられないもの」でした。
でもこういうともにいられないものを避けるためにはものすごいエネルギーが必要で。イメージ的には、カーリングのストーンが進んでいる先に現れる負の部分を避けるために、なんとか息で方向転換させようとしている、みたいな。
それぐらい大変なことだと思う。

しかも、それだけのエネルギーを使っているのに、そのことにすら無自覚になっていて。そのことに解放されてみて、やっと気づきました。

だからまずは
「自分の中に起こっていることを感じる」
そしてそこから
「選択する」
ということが大事なのかなと。

いきなり感じている負の感情を直接相手に伝えるのはけっこう怖いし、取り返しのつかないことになるかもしれない。
でもそういったものを他の誰かに嘆いたり、何かに書いたりすることで感じて、
その上で
「どう伝えるか」あるいはそもそも「伝えるのか、伝えないのか」といったことを
自分にとって良いように選択していけばいい。

負の感情を解放してみて

これまでの自分は、誰かから他人の悪口とか、非難の声を聞いた時に
「なんでそんなことを言えるんだろう?」
「自分だけ正しいと思っているんだろうか?」
「本人に直接言えば良いのに」
などといった声が出てきて、すごく不快な気持ちになっていました。

こういった声は確かに正論かもしれない。

でもそれは今思ってみると、
自分が本当は感じているのに「良くないこと」として抑えているそういう部分(悪口言いたくなったり、非難の声をあげたくなったり)を出している人に対して、
妬みやずるさを感じていたというところもあったなと。
「自分は抑えているのに(あの人は)ずるい!!」
みたいな。

そして何より、それ(悪口や非難の声を出すこと)を認めてしまうと
今の「抑え込んでいる自分」を否定することになる。

それだけは許せなかったから、
正論で自分の中で相手を批判して(直接言いはしないんだけど)、
自分を守っていたように思う。

でもそういう自分も認めて、それを吐き出す気持ちの良さを知ってしまった最近は、
誰かが他人の愚痴を言い出したりしても
「来たぞ来たぞ…!待ってました!😏」と楽しんでいる自分
「そうだよね、そういう部分もあるよね」と安心する自分が出てきて、
むしろ心地よさすら感じている。(性格悪くなったのかな?😂)

でもきっと誰だって、
「自分とは違う」と思っていた人が、一気に「自分と同じなんだ」って思えて安心する、距離が近づく、
みたいなことってあると思う。
普段めちゃくちゃ真面目な人が下ネタを言っているのを見たら安心したり、
普段仏のように優しい人が愚痴を言っているのを見たら安心したり、
みたいな。

結局誰にでもブラックな面や恥ずかしい面があって、
それが自然なことってみんな分かってるんだ。
それを認めないことの方がずっと不自然なんだ。

ということで、僕もこれからは
脱・良い人
していきます!笑
もう「良い人になろう」なんて辞めて、
自分の黒い部分も恥ずかしい部分も含めて、
感じていることに正直に生きていきます。

それで何か傷つけてしまったり、迷惑をかけてしまったらごめんなさい。
その時は遠慮なく言ってください。
そしたらちゃんと聞いて、素直に(納得すれば!笑)謝ります!

あと、そんなこんなで最近は
愚痴を聞いたり、恥ずかしい話を聞いたりといったことが大好物です。😂
日常で吐き出せずに、溜まっている人はぜひ気軽にお声がけください!
守秘義務を持ってちゃんと聞きます。笑
それも含めたコーチングも大歓迎です🙋🏻‍♂️

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