輪舞曲 ~ロンドン③~

 ハンプトンズ・コート宮殿を案内してくれたのは、きびきびと動く感じの良い女性だった。彼女は手際よく宮殿の中を案内してくれた。こういったことに慣れているのか、私が気になったことを聞いても即座に返事をしてくれた。もっとも、親戚の親子は終始硬い表情で、聞いているのか聞いていないのか分からなかったのだが。
 薄暗い食堂を通り抜け、いくつかの部屋を見て回っている時だった。私が壁にかかっている肖像画を眺めていると、後ろから叫び声が聞こえた。振り返ると、眼がうつろになっている娘に、必死になってしがみついている夫妻の姿が目に入った。私は即座に鞄に入れていたセージの葉に火をつけ、枝を大きく振って、彼女の周りを煙で満たした。近くにいた案内の女性は悲鳴を上げて止めようとしたが(おそらく火事になるのではないかと思ったのだろう)、私たちについてきていた召使いの男たちが、必死になって彼女を止めてくれた。そう、何としてもこの儀式は成功させなければならない。何故なら、この機会を逃したら永久に彼女は誰かにとり憑かれたままだろうから。
 しばらくして、娘は長い唸り声をあげたあと、暴れまわって私の手からセージの枝を叩き落そうとした。私も必死に抵抗したが、何しろものすごい力なので葉がすべてちぎれるかと思ったくらいだった。案内の女性は驚きすぎて声も出ないようだった。母親は変わり果てた娘を前に立ちすくみ、父親は娘を止めようとしたが、振り払われた娘の手によってよろめいて尻もちをついた。召使いの男たちは暴れまわる娘を取り押さえ、儀式は何とか続けられた。やがて娘はぐったりと動かなくなった。私が近づいて彼女の様子を確認し、おそらく大丈夫だろうと伝えると、母親は涙を流し父親と抱き合っていた。
 その様子を呆然と眺めていた案内の女性に簡単に経緯を説明し、夫妻から少なくはない金額が支払われた。こういう時、イギリス人はフランス人ほどの寛容さを見せるのかは甚だ疑問だったのだが、おそらく夫妻の正体を知っていたのか、渋々と言った様子で今回のことを黙認することにしたようだ。
 私たちは気を失った娘を父親に抱いてもらい、馬車のある所まで戻った。彼は脂汗をかいていたが大切な娘を手放すようなことはせず、薄暗い廊下や階段をゆっくりと進み、やっとの思いで辿り着いた。
 帰りがけに、案内してくれた女性があっと声を上げた。私が「どうしました?」と声を掛けると、彼女は言った。
「あの方、今、気を失っているお嬢さまの方なのですが、少し前にお見かけした方かもしれません。その時も私がこちらを案内いたしました。」
「少し前・・・春ごろでしょうか。」
「そうだったかもしれません。前に会った時とは雰囲気が違っていて気づきませんでしたわ。前にいらしたときは、随分華やかな装いで、何人かいたお嬢さまたちの中でもひと際目を惹く方でした。明るい声でよくお話しされる方だなと思っていたのです。」
 その時、親戚の親子を乗せた馬車の御者が出発すると伝えに来た。私は目の前にいる女性にもう少し話を聞きたいと思い、この場に残ることを伝えた。彼には、屋敷に着いたら医者を呼んで娘をよく診てもらうようにと頼んだ。彼は頷くと、早足で戻り、すぐに馬車を出発させた。
 私は馬車を見送ると、すぐに彼女に向き合った。
「まあ、彼女はおしゃべりですから印象に残ったでしょうね。」
「そんなことは・・・私がよく覚えているのは、あの方が立ち入り禁止の場所に、いつの間にかふらりと入っていたことですわ。なぜか一人で立っていて、一緒にいたお嬢さまたちも驚いていたんです。私も、つい先ほどまで一緒にいたのに、どうしてあんな場所にいるのかと思いました。」
「彼女はどこにいたのですか?」
「宮殿にある部屋の一つなのですが、傷んでいる部分があるので、今は廊下から部屋を見るだけになっているのです。部屋の前には紐を張って、入れないようにしていたのですが。あの方は、それまで賑やかだったのに一言も話さず、ただぼうっとどこか上の方を見上げていました。」
「その部屋を案内していただいても?」
「ええ、構いませんが、中には入れませんよ。」
「結構です。」
彼女は再び宮殿に戻り、迷路のような造りの廊下を歩いたあと、薄暗いが美しい手すりのある階段を登った。部屋に着くまでの間も、彼女は「この廊下は礼拝堂につながっているんですよ」と教えてくれたり、窓から見える美しい庭の説明をしてくれたりと、なかなか親切な女性だった。
 


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