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レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㉕

 かつてのわたくしは何もかもが手に入る地位にいたように思えたが、同時に何も持っていなかった。
 公爵令嬢として産まれたわたくしは、誕生した瞬間から国王の妃となるべく育てられることが決まった。祖母が前国王の娘だったということもあり、未来の国母になるには有利な条件だったのだろう。そのため、両親からだけではなく、使用人たちからも片時も目を離すことなく育てられた。
 わたくしが自由に泣いたり笑ったりできたのは、一体いつ頃までだっただろうか。ひょっとしたら、赤ん坊の頃だけだったかもしれない。
 物心ついた時から、わたくしには幾人もの教育係がつけられ、常に誰かに見張られていた。そのような日々に疑問を持つ暇もないほど、わたくしはやるべきことを山積みにされた。
 わたくしの息が出来たのは、勉強している時と本を読んでいる時だけだ。公爵家の総力を挙げて集めた最高の教師たちは、教え方も上手く、楽しい話でわたくしの興味を掻き立てる。
 幸いなことに、住んでいた屋敷にあった塔には本が沢山あり、わたくしは母や使用人の目を盗んではそこに入り浸った。本の中でだけ、わたくしは自由だ。ある時は王となって攻めてくる敵を打ち負かし、ある時は古の哲学者の弟子となって師の言葉を聞き洩らさぬよう耳を傾け、ある時は偉大な政治家の秘書となって政策を出し合った。当時10歳になる前だったが、イタリア語やフランス語、ラテン語まで習得していたので、幸いなことに原文のまま本を読むことができた。
 ある時、わたくしがギリシャ語でプラトンの本を読んでいると、教師がやってきて「あなたは外に出ないのですか」と聞いたことがあった。その日、両親は屋敷の者を引き連れて狩りに行っていたようだったので、心ゆくまで読書が出来るとわくわくしていた。
「読書に勝る喜びはありません。両親の前では、立ち振る舞いは勿論のこと、会話でも食事でも刺繍でもダンスでも、すべて完璧にこなさなければなりません。それができなければ、残酷な言葉で罵られ、身体を打たれることもあります。読書や勉強以外は、悲しく恐ろしいことばかりです。」
 わたくしがそう答えると、教師は何とも言えない苦い顔をして去っていった。事実、読書や勉強をしていて両親に褒められたことはない。すべてを完璧にこなすのが当たり前なのだから、褒めるほどのことではないのだろう。ただ、読書を好むわたくしを、母はあまり良く思っていないようだった。妹たちのように天真爛漫な明るさが感じられないのは、読書ばかりしているせいだと思っていたのだろう。両親が社交で家を空けると分かった時は、わたくしは使用人の目を盗んで本を読みふけった。
 読書が好きなる理由は、それだけではない。本のある塔は、両親のいる場所では勿論のこと、自分の部屋でも一人になることが出来なかったわたくしが、唯一、一人になれる場所だった。森に囲まれた場所に屋敷があったため、窓から鹿の群れが見えることもあった。わたくしは、移り変わる森の景色を、絵画のように美しいと思った。
 わたくしは同年代で友人と呼べる人はいなかったが、人柄も優れている教師と本のおかげで何とか生きていくことが出来た。それ以外の場所は悪意に満ちていて、息をすることさえ苦しい。たった一言、「苦しい」と言えば、どれほど酷い言葉で責め立てられるか分かっているから、尚のこと言うことが出来ない。いつも言い返さないわたくしを、両親はどう思っていたのだろう。何も言わないから、傷ついていないとでも思っていたのだろうか。
 わたくしは、貴族社会を誰よりも優雅に歩いて行かねばならなかった。人類の罰をすべて一人で引き受けた主に比べれば、どれだけ軽い罰なのか。わたくしは「王位継承継承権を持つ貴族令嬢」という、美しく輝く重い十字架を背負って、羽のように軽やかな足取りで進んで行かねばならなかった。それは、日々の命をどうつないでいくかという心配をする庶民と違い、そのような心配をする必要がない代償なのだろう。
 あの時、わたくしはどうすればよかったのだろうと今でも思う。王妃になどなりたくないと言えばよかったのだろうか。勉強で良い成績を残さなければよかっただろうか。・・・おそらく結果は変わらなかったのではないか。成績が悪ければ、両親はわたくしに対して鞭を打ってでも勉強させただろうし、もっと自由がなかったかもしれない。わたくしが使えない駒だと分かったら、次は妹にその役目が回るだけで、悲劇が終わることはない。わたくしはそのような星のもとに生まれただけなのだと、言い聞かせるしかない。
 終わってしまったことなのに、後から後から、当時の思いが湧き出て来る。勉強に励み、厳しい監視のもとに神経をすり減らして生活し、国一番の才女だと褒めたたえられても、果たしてそれが報われたことがあっただろうか、と。


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