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輪舞曲 ~ロンドン②~

 なんでそう思ったかって?彼女は生まれながらに裕福な家庭で育っていて、人に傅かれるのは当たり前なんだ。欲しいものはすぐに手に入る、それも一流の物がね。紅茶だって、基本的にはメイドが淹れてくれるし、自分好みの温度で、気に入った茶葉で用意される。自分で淹れるとしたらマナーの勉強の時だけだろうから、たかが紅茶の一杯くらいで微笑むことなんてない。それも、あのとき出されたのは、流通量の多いやや渋みのある茶葉なんだ。記憶違いでなければ、彼女は渋みのないものを好むからほとんど口をつけないんだ。まあ、私と会わなかった間に好みが変わらなければの話だけれど。
 他にもいろいろと気になることはあったのだけれど、とりあえず私は、彼女が何かにとり憑かれている可能性があると考えた。ご家族の話では、春以降に様子が変わっていったと言うから、何かきっかけがあったに違いない。自信はなかったけれど、一か八か言ってみることにした。
「先ほどお父さまから、春に素敵なところにお出かけになったと聞きましてね。是非私も話を伺いたいと思ったのです。」
 そう言ってみると、彼女は一瞬驚いたようにこちらを見て、また手元のカップに目をおとしたんだ。そして、小さな声で「ええ。でも、殿方にはつまらないと思いますわ。」と答えたんだ。その後もいくつか話を振ってみたんだが、彼女は二言三言答えるだけで終わってしまう。
 それで確信したね。彼女は春にどこかへ出かけた、そして、その場所で何者かにとり憑かれてしまったのだと。
 私はまた来る約束をして、その日は屋敷を離れたんだ。
 最初は固かった彼女の態度も、何度か会ううちに打ち解けてきた。今までの彼女だったら、いつ息をしているのかと思うくらい話し出したら止まらないのに、今の彼女は静かでこちらの話を興味深そうに聞いている。以前の彼女より、今の彼女の方がずっと好みだと思ったことは秘密だよ。 
 私は、最初の時以来、彼女が春に訪れた場所を聞かないでいたんだが、その日は彼女がとてもリラックスしていたから聞いてみることにしたんだ。
「ええ、春に行ったのはロンドン塔だったかしら。いえ、ハンプトン・コート・・・。」
 彼女はそこまで言うと、はっとして口をつぐんだ。私は何も聞いていなかったかのように「え?今なんとおっしゃいましたか?」と言ったんだ。彼女は一瞬沈黙したのち、ややほっとした様子で「いいえ、なんでもございません」と言った。その後、当たり障りのない話をしてから、私は失礼したよ。
 帰り道はほっとした気持ちと、やり遂げたという気持ちでいっぱいだったね。珍しく、ダンスのステップを踏みたい気分だったよ。
 次の日から、親戚の伝手でいくつかの図書館で調べものをしてね。私はいくつか仮説を立てたんだ。そして親戚にも手伝ってもらって、彼女を救うために準備をした。残された時間があとどれくらいなのかは分からなかったから、大急ぎだったよ。

 約束の日、ロンドンはいつものように薄曇りだった。
 彼女は落ち着いたデザインの青いドレスを身に纏っていた。隣には母親が、向かいには父親が乗るように指示している。両親の顔色が悪く、特に母親が緊張からか青ざめているのが気になったが、幸いにも娘は気付いていないようだ。娘に気づかれぬよう、私は後ろの馬車に乗ると、目的地に着くまで緊張しながら過ごしていた。窓の景色を眺めながら、道路沿いの店がやけに気になったり、売られている赤い林檎の色がとても鮮やかに見えたことを覚えているよ。その日の町並みは、まるで絵画を見ているかのように色づいていたんだ。
 気がつくと馬車が止まり、扉が叩かれた。窓の外を見ると、赤みがかった茶色の煉瓦造りの建物が見えた。御者が扉を開けてくれ、外に出て改めて見てみると、それは思っていたよりも大きく立派な建物だった。かつてイギリスの国王であったヘンリー8世が暮らしていた、ハンプトンコート宮殿だ。
 それは今までのむごたらしい歴史を感じさせないほど、いや、その歴史をも上回る迫力で建っていた。なるほど、こんなにも立派な城を見せられたら臣下を殺してでも奪い取りそうだな、と強欲な王の肖像画を思い浮かべながら思った。
 最初に着いていた馬車から父親と母親、そして父親に腕を掴まれ引きずり出されるように馬車から降ろされた娘の姿が見えた。彼女は家を出るときとは比べ物にならないほど顔色が悪く、今にも倒れそうに見えたため、父親と母親が両脇から抱えるようにして彼女を立たせていた。途中、彼女はちらりと責めるようにこちらを見たが、私は何も気づかない顔をして彼女たちの前に立った。
 


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