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レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㊾

 実家で療養していたわたくしに、義父から呼び出しがあったのは突然のことだった。結婚直後よりは体調が良くなってはいたものの、まだ休んでいたいというのが正直な気持ちだった。しかし、義父からはすぐに来るよう連絡があり、侍女と共に義父のいる屋敷を訪ねた。
 屋敷は不気味なほど静まりかえっていた。わたくしは不安になりながらも、案内された部屋へ通される。そこには義両親とギルフォート、何故がわたくしの両親が揃っていた。それだけでなく、何人かの貴族まで待っていた。わたくしが訝りながらも前へ進むと、部屋の中にいた全員が床に跪いた。うろたえるわたくしに、義父は言った。
「国王陛下がご崩御なさいました。陛下は、あなた様を次期女王にするとお決めになられました。」
 わたくしは、一瞬何を言われたのか分からなかった。わたくしが女王?そのようなこと、あるわけがない。今まで、女王になることなぞ考えたことすらないのに。
「次の女王はメアリー様ですわ。わたくしであるはずがありません。」
 震える声でそう言いながら、涙が流れた。義父は鋭い目つきでわたくしを見据えた。逃がさない、という眼とは裏腹に、話し方は淡々としているところに恐ろしさを感じる。
「陛下はプロテスタントでしたから、カトリックのメアリー様が王位を継いで国内に混乱が起こるのではないかと危惧されていらっしゃいました。それに、メアリー様とエリザベス様の母上とヘンリー8世との婚姻は無効となっておりますので、王位継承権が認められません。あなた様の母上は、すでに継承権を放棄されております。」
「そんな・・・!」
 わたくしは血の気が引いて行くのが分かった。こちらを見ている大人たちの顔つきが恐ろしく、思わず後ずさりする。ふいに、わたくしの手は掴まれた。それはギルバートの手だった。「ご決断を、ジェーン」と、彼は甘い声で懇願する。握られた手が気持ち悪く、離してほしいのに離してもらえない。その間に、大人たちがわたくしたちを取り囲み、口々にわたくしへ懇願する。「女王になるのは、陛下のご遺志だ」「陛下のご遺志に反するのは反逆罪だぞ」「大丈夫、あなたなら出来るはずよ」「すぐにご決断を、国が混乱します」「このままプロテスタントの人々を見捨てるのですか」
 大人たちに取り囲まれ、掛けられた言葉の数々に気が狂いそうだった。わたくしは「神よ・・・」と言いながら、その場に崩れ落ちた。
 周りの人々の「女王陛下万歳!」という声が部屋に響き渡った。わたくしは床に座り込んだまま、呆然とすることしか出来ない。
 女王になるなどと一言も口にしていないのに、なりたいなどと思ったことすらないのに、女王になることが決まってしまった。逆らえない、両親には逆らえない。そして、神の名を出されて、どうして退くことが出来ようか。本当は逃げ出したい、でも、周りはそれを決して許さないだろう。まるで、女王とは名ばかりの咎人のようではないか。わたくしはこれから、何に対して許しを乞えばよいのだろう。

 次の日、びっしりと金糸で刺繍された重いドレスを着て船に乗せられた。わたくしが女王になることは、義父たちの間では決まっていたのだろう。それでなければ、一夜でこのような手の込んだドレスが用意できるはずがない。わたくしは、何とも言えない重い気持ちを引きずったまま船に乗る。
 船はテムズ川を滑るように進んで行き、ロンドン塔へ向かって行く。周りの大人たちは話をしていたが、わたくしは一言も話すことなく船の中で過ごした。
 やがて船は止まり、わたくしはロンドンの地を踏んだ。先に待っていたギルフォートがわたくしに手を差し伸べていて、傍らには義父が跪いていた。後ろでは、母がわたくしのドレスの裾を持ち上げている。
 そのようなわたくしたちの様子を、ロンドンの市民は固唾をのんで見守っていた。義父の話では、既に国王陛下の崩御と新しい女王の戴冠について、新聞で発表されていると言っていた。新しい君主を祝う祝砲の音も聞いている。しかし、集まった人々から「女王陛下、万歳」という声は聞こえない。ただ、戸惑ったようにこそこそと話しているだけだ。わたくしがロンドン塔に向かって歩いているとき、人々の囁き声が聞こえてくる。
「誰だ、あの子は?」
「ジェーン様だって。」
「本当に陛下はあの子を女王に指名したのか?」
「まだ、小さな子供じゃないか。」
「次の女王はメアリー様かエリザベス様だろう?」
「あそこにいる偉そうな男は?」
「陛下の側近だった、ダドリー様だ。」
「もしかして、陛下が亡くなったのは・・・」
「しっ!聞こえるぞ。」
 集まった人々のほとんどは、わたくしの即位に対して困惑していることが分かった。わたくしは唇を噛みしめ、まっすぐ前を向いて進むしかなかった。

 

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