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輪舞曲 ~ロンドン④~

「彼女はどちらにいたのですか?」
「宮殿にある部屋の一つなのですが、傷んでいる部分があるので、今は扉を閉めて公開していないのです。部屋の前には紐を張って、入れないようにしていたのですが。気がつくと扉が開いたままになっていて、中を覗いたら、彼女がぼうっとどこか上の方を見上げていました。」
「その部屋を案内していただいても?」
「ええ、構いませんが中には入れませんよ。」
「結構です。」
彼女は再び宮殿に戻り、迷路のような造りの廊下を歩いたあと、薄暗いが美しい手すりのある階段を登った。部屋に着くまでの間も、彼女は「この廊下は礼拝堂につながっているんですよ」と教えてくれたり、窓から見える美しい庭の説明をしてくれたりと、なかなか親切な女性だった。
 やがて、たくさん並んでいるドアの一つが開けられた。天井は大広間のように高く、奥に天蓋のついたベッドが見える。
 私が吸い寄せられるように進もうとすると、靴の先が部屋の中に入るか入らないかの瞬間に「そこまでです」と案内の女性に止められた。私が、はったとして申し訳なさそうにすると、女性は無表情で小さく頷いた。
 部屋の壁紙は2メートル以上あるだろうか、深い緑色に金色で植物を模した紋章のような、アラベスク柄のような模様が描かれていた。これがフランスなら明るく可愛らしい雰囲気なのだろうが、暗く重く感じたのは色のせいだけではないだろう。王が住んでいた宮殿の中というだけあって、部屋の中はくらくらするほど豪華で重厚に感じる。そして、部屋はかなりの広さがあった。住人がいないせいか、がらんとして雑風景に見える。部屋の奥にある大きなベッドの他に、書きものをする机と椅子が見えるだけなのだ。これで、ちょっとした小物などが散らばっていたりしたら、随分とこの部屋も生きているように感じるのだが、そういった余分なものは一切排除されていた。案内の女性にそのことを聞いてみたが、彼女も「使われていたのは随分昔のことですし・・・」と困ったように言われた。彼女がこの部屋を初めて見たときから、ずっとこのような感じだったそうだ。
 しばらく部屋を見渡して、私は案内してくれた女性に礼を言った。彼女は小さく頷き、静かに扉を閉めた。最後に、この部屋は以前誰が使っていたのかと尋ねた。
「私が聞いている話ですが、・・・・・・・ーーーー」

 さて、私の依頼された仕事はこれで終わったのだが、ここからは個人的な興味で調査を続けることにする。それにあたって、親戚の無駄にある権力や名声を使わないわけにはいかない。
 私は尤もらしい理由を並べ立て、毎日ハンプトン・コート宮殿へ通う権利を得た。幸い、特に何も言われることなくその権利は約束された。私は案内係をつけようかとも言われたが断り、立ち入り禁止の場所には入らないことを約束して気ままに宮殿の中を歩き回った。
 最初の三日間は特に何事もなく過ぎていった。
 私は落胆することなく、庭を散策したり、時には他の見学者と鉢合わせしたりしながら過ごした。
 変化があったのはそれからだった。私が廊下を歩いていると、膨らんだドレスの裾がちらりと見えることがあったのだ。それからは宮殿の中を中心に、ぐるぐると、時には同じ場所を何度も歩くことにした。
 そして、その時は急に訪れた。私が廊下を歩いていると、少し先にある狭い階段から、青白い顔をして深い臙脂色のドレスを纏った女性が音もなく現れたのだ。彼女は何かを探しているように扉を覗き込んでいた。空いている扉もあれば、閉まっている扉もある。彼女は、閉まっている扉を必死に覗き込もうとしていたが、けっして扉を開けようとはしなかった。私は彼女の後ろに立って、何も言わずに彼女が見つめる先の扉を少しだけ開いた。彼女は急に開いた扉を不思議に思うことなく夢中で部屋の中を見てから、興味を失ったように次の扉の所へ向かっていった。私は、その後も彼女が見たそうにしている扉を(それはいずれも立ち入りが禁止されている部屋だったが)少しだけ開けてやった。彼女はすべての部屋の中を見ていたが、探しているものはなかったのか、いくつかの部屋を見たあとに消えていった。
 

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