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レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㊻

 ユーグがオリバーに連絡すると、彼は夜更けにもかかわらず店を開けてくれ、客間に通してくれた。
「レディ・ジョーカーにお会いになったのですか?」
「ええ、つい先ほど。ただ、途中から店に出なくなってしまったので、帰ったのかもしれません。お呼びしようかと思いましたが、彼女に会うのが先と思って連絡できず、申し訳ありませんでした。」
 オリバーはワインの栓を開け、グラスに注いだものをユーグの前に置いた。
「私も、最近彼女の店の前を通っていなかったので仕方ありません。」
 おや、とユーグは思った。今までの彼なら、何故自分を呼ばなかったのかと激高しそうだったからだ。
「どうしました?」
 黙り込むユーグに、オリバーは不思議そうに尋ねた。
「いえ、随分と落ち着いているなと思いまして。以前話を聞いたときは、熱に浮かされている様子でしたから。」
「はは、そうかもしれませんね。仕事に夢中で、随分と落ち着いてきたのかもしれません。それはそうと、彼女の様子を聞かせてもらえませんか。美しいひとだったでしょう?」
「ええ、思っていた以上に。彼女が他の客と話していたことですが、あの店を閉めるかもしれないと言っていました。」
「・・・ほう?」
「少し前から店は閉めていたようで、今日が久しぶりの営業だったようです。なんでも、家族の体調が悪いようで、家を空けることが出来ないそうなのです。」
「家族ですか・・・。親でしょうか、それとも、夫とか・・・?」
「それは何とも。他の人に店を任せることも考えたようですが、閉めたほうが良いと思ったようですね。」
「これは驚きだ。何か困っていることがあるのなら力になりたいものだ。」
「同じことを店にいた客にも言われていましたよ。彼女は断っていましたが。」
「彼女は良い女だが、強情なところはどうかと思いますね。男に頼ったほうが、上手くいくでしょうに。」
 オリバーが妙に自信ありげに言うので、ユーグはひっかかるものを感じつつワインに手を伸ばした。
「私と結婚したなら、きっと幸せになりますよ。あなたはそうは思いませんか。少なくとも、彼女が困っていることのほとんどは解決できるでしょう。」
「確かに、あなたは仕事熱心で金銭的な余裕もある。若くて顔立ちも女性好みですからね。」
 オリバーは満足そうに頷いてワインを飲んでいる。小さな頃から受けていた彼の良い評価を、少しも疑うことなく生きてきたのだろう。彼は周りの期待に応えるべく努力を重ねてきただろうし、少なくとも、彼の仕事の熱心さは評価すべきことだと思うが、果たして、レディ・ジョーカーは彼をどう思うだろうか。
「実は、彼女に聞いてみたのです。彼女に思いを寄せている男がいるのだと。」
「ええ!」
「彼女は、はっきりと言いました。・・・怒らないでくださいよ?私はただ聞いただけですからね。・・・彼女は、そういったことに興味が無いようです。すべて断っていると言っていました。」
 ユーグがそう言うと、オリバーは黙り込んだ。彼は分かりやすく眉を寄せ、口を不機嫌そうに引き結んでいる。しばらく黙り込んだあと、男は低い声で唸るように言った。
「どうして分かってくれないんだ。こんなにも思っているというのに!」
 そう言って、膝に置いていた拳を強く握りしめ、小刻みに震わせていた。
 ユーグは男が落ち着くまで、ワインを飲みながら辛抱強く待っていた。思い通りにならない美しい女に恋した男よりも、厄介な男に好かれて一方的に責められる女を気の毒に思った。
 しばらくしてオリバーは落ち着いたのか、ワインを一口飲むと溜息をついた。
「失礼、取り乱してしまいました。」
「いえ、お気になさらず。」
「あの人のことは、正直納得がいきません。でも、仕方のないことなのでしょうね。」
「もっと相応しい方がいると、神様が教えてくださっているのかもしれません。美しく、聡明で、次の商会の代表となる人の妻に相応しい女性がいるのだと。」
 オリバーは納得していないようだったが、渋々といった様子で頷いた。
「確かに、いつまでも夢を見て追い続けるわけにはいきませんね。私は紹介を引き継ぎ、大きくしていかなければなりませんから。」
「素晴らしいですね。立派な後継者がいて、この商会もこれからが楽しみです。」
 ユーグがそう言うと、オリバーは引き攣ったように笑顔をつくった。

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