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『ポールプリンセス!!』星北ヒナノ・ポールダンス「Wish upon a polestar」考察

今回は、ポールプリンセスの主人公である星北ヒナノのポールダンスショー「Wish upon a polestar」について見ていきます。
(※本考察は個人的な解釈によるものです。考察の都合、一部ネタバレになる可能性があります。)

星北ヒナノ

公式Xより

本作の主人公である星北ヒナノ。
おばあちゃんの経営するプラネタリウムが幼いころから大好きでプラネタリウム廃業の危機にポールダンスに出会い、プラネタリムを盛り上げるためにポールダンスの世界に飛び込んでいきます。
ポールダンスのポールとかけて「芯のある頑張り屋」なキャラクターとなっています。

幼馴染のリリア

ヒナノの幼馴染であるリリアは、引っ込み思案なヒナノに対して元気で活発で、ヒナノを引っ張っていってくれる存在です。

きっと大丈夫 きっと大丈夫 夢のドアを 叩くマイパッション

Wish upon a polestarより

歌詞の中に「夢のドア」という単語が歌詞に出てきますが、これは、リリアの「とびきり上等☆Smile!」で出てきた「You may know to be loved(夢の扉)」と連動しています。
このことからもヒナノにとってのリリアの存在の大きさが感じられます。

過去の考察では、リリアのモチーフの一つには阿弥陀如来があり、
ヒナノにとっての心の声や本能のような存在であり、心のポールを擬人化したような存在であると考察しました。

本考察では、このヒナノとリリアとの関係性も重要な要素としてみていきます。

名前について

星北ヒナノの名前は「星北」は北極星のポールスターから
「ヒナノ」は監督から言及があります。

「雛の」で「ヒナノ」ということだそうです。

また、「ヒナノ」はタヒチの言葉で「可愛い女の子」を意味する言葉でもあり、こちらの意味も意識しているものと思われます。

モーションアクター

少し余談になりますが、ヒナノはバレエで挫折した過去を持っていますが、実はヒナノのモーションアクター務めるAyakaさんもバレエに挫折した過去からポールダンスの道に進まれた方です。
ヒナノの過去にはこうした実際のエピソードが落とし込まれているものと思われます。

ポールスター

ヒナノにとって重要な要素になってくるのが、北極星のポールスターです。

星北の名前の由来にもなっているこのポールスターですが、本作では「北極星のポールスター」と「ポールダンサーとしてのポールスター」とそして「プラネタリウムのポールスター」との主に3つのポールスターが重ねられて表現されています。

これらのポールスターの役割について詳しく見て見ましょう。

北極星のポールスター

北極星はちょうど自転軸付近にあり地上から天球を見上げた時いつも同じ場所に存在することから宇宙の中心にあるように見える星です。
いつも同じ場所にあるので方角を知るための手がかりとして使われてきたことから道しるべとされます。

北極星としてのポールスターは、中心的な存在であり、同時に光照らし導く道しるべとして描かれます。

ポールダンサーとしてのポールスター

ポールダンサーを憧れの存在として見るとき、ポールダンサーはスター的存在であり、それは言うなればポールスターです。
ポールスターはサナ姫からわかるようにアイドル(偶像)的な側面も持っています。
アイドルと言えば嘘で、表に見えるキラキラした姿の裏には異なる顔があり、異なる性格であったり想像絶する努力や苦しみ葛藤などの影の側面も持っています。

ポールダンサーとしてのポールスタは、憧れのスターであると同時に、偶像的な嘘や虚構の存在として描かれます。

プラネタリウムとしてのポールスター

おばあちゃんの経営するプラネタリウムは星北の名前から「ポールスター」と名付けられています。

ヒナノの名前からもプラネタリウムは卵の殻のようなもので母性的な要素が感じられます。

ヒナノの母親の所在は不明ですが、ショーの中でプラネタリウムの空は水中のように描かれています。
小さいころからプラネタリウムが好きだったというのは母親の胎内に戻りたいという胎内回帰願望の現れとして見ることができます。

胎内回帰願望とは、胎内の中にいたころの記憶から胎内のような海や暗くて狭い暖かい場所にいると落ち着くことがあるように、無意識に胎内のような安寧の地を求めてしまうというすべての人が持つといわれる根源的願望です。

しかし、廃業の危機になったように、胎内のようなプラネタリウムも決して安寧の地足りえないこともうかがえます。

また、プラネタリウムの映す偽物の星空は世界の虚構性も映し出します。人は常に自身の心のフィルターを通してしか世界を知覚することができません。なので、私たちはこの世界の実体を見ることは叶わず、常に偽りの夢のような世界を見ているとも言えます。
偽りの星空が映し出されるプラネタリウムは私たちが見ている夢のような世界そのものなのです。

プラネタリウムとしてのポールスターは、包み込むような母性性と同時に世界の虚構性として描かれます。

ショーの中のポールスター

ショーの前半ではポールが星に重なるように伸びていき、重なった瞬間星が砕け落ちるような演出がされています。憧れに手を伸ばすこととそこから来る絶望や挫折を表現していると思われます。
これは、先に上げたポールスターの虚構性から来るもので、夢や理想が現実の前に砕けてしまう、そうした誰もが持つであろう挫折が星空を通して描かれています。ヒナノにとってはバレエでの挫折などがこれにあたります。

ここでのポールスターは夢や理想への挫折や絶望といった苦しみを生み出す虚構の存在なのです。

逆にショーの後半部分では、見上げたポールスターから降り注ぐ光がポールやヒナノを照らし、それと同時に満天の空に星々も舞い上がります。直前に下腹部をポールに当て、星空が波紋のように広がることから精神的な胎内回帰を表していていると思われます。

ポールスターという虚構の存在を通して心の内のポールを照らされる。
それは、それまで挫折や絶望と言った苦しみを生み出していたと思っていた存在が、実は自分を導いてくれている存在であったことを意味します。そのように認識が変わると、世界が反転し、厳しい現実は母親の胎内のように安らかな場所へと変わるのです。

虚構の存在でありながら、私たちを導いてくれる道しるべとなる存在がポールスターということです。

ポールダンスとはなにか

ポールプリンセスはポールダンスアニメです。やはり、なぜポールダンスを描くのかその理由が重要になってきます。
ということで、ポールダンスに込められたものについて見ていきます。

ポールとは

まずポールですが、ポールプリンセスでは、ポールは心の芯のようなものとして描かれます。

では、心の芯とはどういうものかと見ていくと、他のキャラであれば、ユカリなら夢、ノアなら自然、サナ姫ならファン、ミオなら大好きな魔法少女がポールとして表現され、様々なものが心の芯として描かれます。

また、ヒナノにとってのポールとしての象徴的な存在であるリリアの楽曲では「You may know to be loved(夢の扉)」(あなたは愛されていることを知っているかも知れません)とあることからも「心の芯であるポールとは、自身を支えてくれる様々な愛を象徴したもの」であると考えることができます。

そしてそれは、リリアに仏のモチーフがあることや神様を柱(ポール)ということから、いわゆる神や仏、真我、真如などと呼ばれるようなものでもあります。

回ること

ストーリーではヒナノはステージ直前に失敗することへの恐れからポールダンスのスピン技ができなくなってしまっていました。

回転はノアのショーでも意識されていましたが、苦しみを受け入れて回ることを意味します。

人は安寧を求めるあまりに無意識に変化を恐れますが、諸行無常という言葉があるように、人の意思に関わらず物事は絶えず変化を続けています。だからこそ、恐れとどまるのではなく、そうした変化の苦しみを受け入れて回ることの重要性がポールダンスの回転を通して描かれています。

一時の安寧も春の世の夢のようにすぐに過ぎ去り変わってゆく、ヒナノにとって大切な場所であるプラネタリウムもまた永遠ではなく廃れていってしまいます。

また、仏教における「苦」は「思い通りにならない」ことを意味し、サンスクリット語で「ドゥッカ」といいますが、この言葉は「車軸が真ん中を通っておらず乗り心地の悪い様」に由来しているとされます。
芯が通っていないから上手く回れず苦になるということで、自身の内に一本のポールを通し苦しみを受け入れ回る、まさにポールダンスのようなあり方が重要であると捉えることもできます。

ポールに支えられること

ここについては後でもう少し詳しく見ていくことになるのですが、ポールダンスは何より自分を支えてくれるポールがなくては始まりません。

ポールに支えられて存在しているということは、先ほど見たように、ポールは他者からの愛であるとすればそうした他者からの愛なくしては自分は存在しないわけです。

自分は他者なくして存在しないということは、他者は自分の一部でもあるとも言え、自己と他者の間に明確な境界がないことを意味します。世の中のあらゆるものは個で存在せず繋がっている諸法無我です。

仲間、家族、自然、社会、生き物、アニメ、ゲーム、世界のあらゆるものが自身のポールとなって支えてくれているのです。

空を飛ぶこと

ポールに支えて舞い踊る姿はさながら空を飛ぶかのようです。

あとで詳しく見ますが、歌詞の中にも「小さな羽ばたき」「はためく」と空を飛ぶことを意味する言葉が見られます。

空を飛ぶことはよくメタファーとして使われますが、それは人類の憧れであり、神秘性の象徴で、重力の苦しみからの精神的解放を表します。

苦しみからの解放は心の安寧に至ること、それは、精神的な胎内回帰であり、いわゆる仏教的な悟りの境地や涅槃寂静の世界へ至ることでもあります。

こうした境地はよく神秘性を持って語られますが、ポールダンスの宙を舞う神秘性がこれと重ねられています。

ポールダンスとは

ポールダンスは「中心にあるポールに支えられ、回転、上昇し空を飛ぶように宙を舞い踊る」

回転し、ポールに支えられ、空を飛ぶこと。ポールダンスの特徴的な振る舞いから、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静と仏教の悟りへ至る根源的な教えが見てとれます。
(仏教というとやや胡散臭いかも知れませんが、仏教は苦しみから抜け出すための教えであり、人がより良く生きるための人生哲学のようなものです。)

仏教には、言葉で言い表わすことのできない仏の悟りの真理を絵によって表現した曼荼羅というものがあります。

ポールプリンセスにおけるポールダンスとはまさに悟りの真理に目覚めるための教えを表した曼荼羅のようなものなのです。

風に身をまかせて

仏教は大きくわけて出家して修行することで悟りを開く上座部仏教と全ての人が救われることを目標に出家や修行をしなくても誰もが仏になれると説く大乗仏教があります。

大乗仏教というのは簡単に言うとみんなでより良く生きるための教えであると言えます。そうした大乗仏教の教えからもう少し深く見ていきます。

リリアと阿弥陀如来

日本仏教は全て大乗仏教であり特に浄土宗、浄土真宗など浄土教は有名です。

浄土教の特徴は南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土にいけるという教えです。
本尊は西方浄土の主である阿弥陀如来で、リリアは西条(西の筋道)と言う名前や慈悲の象徴であるウサギがモチーフにあることなどからこの阿弥陀如来がモチーフの一つにあると思われます。

阿弥陀如来は如来になる際に全てのものを極楽浄土に導くと誓いを立てて如来になったとされる仏で、その救いの力を表したのが本願という言葉になります。
(極楽浄土は精神的安寧の地であり、胎内回帰や悟りの境地と似たようななものです。)

阿弥陀如来と言うとなんのことやらと思うかも知れませんが、これはあくまで概念化したものであり、簡単に言うと「私たちを救おうとする世界からの働きかけ」を阿弥陀如来という言葉に置き換えただけにすぎません。
心の芯であるリリアが私たちを支える様々な愛の象徴であることと全く同じことです。

また、他力本願という言葉がありますが、あれも浄土教の言葉で、他力本願はよく他人まかせにするというような意味で使われますが、本来は「阿弥陀如来の本願の力」を意味します。

私たちの周りにはポールやリリアや阿弥陀如来などで表象される、他力による救いの働きが存在しているのです。

はためくこと

さてそうした他力に関するものとして重要なのが、歌詞の中で登場する「はためく」というワードです。

明日は 今日より はためくんだ 
どんな不安が 押し寄せても(星空見上げて)
瞳 閉じたりしない ずっと
(諦めないよ 諦めないよ)
諦めない 天に届くまで

Wish upon a polestarより

「はためく」は「羽ばたく」という意味ですが、「羽ばたく」と異なり「風に吹かれてはたはたと動く」という意味が入ってくるため、自分の翼で飛ぶというよりもどちらかというと「風を受けて飛ぶ」という意味になります。
ここから、「はためく」とは自力ではなく他力に身を任せることを強調した言葉であることが分かります。

また、「例え小さな願い羽ばたきでも信じたらいつか空を飛べるよ」とも歌詞にあります。願いの羽ばたきは要するに心の声のことですが、それは信じる対象であることからも自己と切り離された他力であることがわかります。

他力本願には、さらに絶対他力という言葉もあります。これは、信じる心も他力によるもので、自力は一切存在しないことを示した言葉です。
「明日は今日よりはためく」というように全てを他力の働きに任せる絶対他力の考えも伺えます。

浄土教では南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われると説かれます。
誰もが仏教の教えを理解し煩悩を消し去ることができるわけではないので、皆が救われる方法として用意された教えです。
南無は帰依することを意味し、「阿弥陀如来にお任せします」という意味で、「私を支えてくれる様々な愛に身を任せます」「心の声の導きのままに」と言っているような意味です。

そうして世界の働きかけに、願いの羽ばたきにその身を託すことで、結果的に我の執着を捨て無我の境地に至り苦しみから解放され空を飛ぶことができるのです。

たくさんの愛に支えられて

私たちを支えてくれる愛にはどのようなものがあるか、もう少し詳しく見てみましょう。

幼馴染のリリアはいつも側でヒナノを導いてくれます。
他のキャラであれば先ほども見たように、ユカリなら夢、ノアなら自然、サナ姫ならファン、ミオなら大好きな魔法少女がポールとして表現されています。
スバルは挫折から自身の内にあるポールと向き合うことができました。同じようにヒナノのバレエの挫折の過去もポールダンスの中で生きています。ユカリの才能を前に挫折したヒナノですが、そのユカリの強さですらヒナノを支えてくれる愛なのです。

他には、アズミ先生やおばあちゃん、プラネタリウムも支えてくれています。
ミオの作ってくれた衣装は勇気をくれますし、食べ物もそうで、ポルプリでもたくさんの食べ物が出てきます。回転技が上手くいかない時に好物の苺ミルクティーが支えてくれました。

胎内回帰願望もです。胎内回帰願望は不安や苦しみの原因でもありますがそれは同時に精神的な解放への導きの声でもあります。

自身の心、仲間、家族、自然、社会、生き物、アニメ、ゲーム、例えそれが不安や苦しみを生んだとしてもそれすらも私たちを支える愛なのです。そのようにして考えると、私たちは世界のあらゆるものに支えられながら、導かれながら存在していることがわかります。

それを象徴するのがラストカットです。

ポールに支えられ、星空を翼に空を飛ぶ。

この世界にあるたくさんの愛に身をまかせてはためくことで私たちは飛ぶことができるのだと。

これがポールプリンセスがポールダンスを通して一番伝えたいことのように思います。

かわいいヒナノと応援

ヒナノを照らす夜空に輝く星々についてもう少し見ていきます。

ヒナノという名前はタヒチ語で「かわいい女の子」という意味があることは前述しましたが、この「かわいい」がポールプリンセスでは大きな意味を持っています。

かわいいと萌え

ポールプリンセスはいわゆる萌えアニメの側面があります。
萌えアニメの定義は多岐に渡りますが広義に捉えると「かわいい女の子」を売りのアニメで、しばしば客に媚びた商業主義的表現だとして批判を受けるようなこともあります。

こうした萌えアニメのキャラは、ベビースキーマと呼ばれる赤ちゃんや動物が持つ「体に対して頭が大きい」「目が大きくて丸い」「目鼻口が頭の低い位置にある」などの身体特徴を持っていて、これが「かわいい」を生みだしていると言われています。
こうした「かわいい」には、対象に近づいたり側にいたいという接近動機づけの働きがあり、それによって愛着形成や対象を思いやることによる養育や庇護を誘導します。
「かわいい」ものには近づきたくなり、愛着を持ちやすいからこそ商業として萌えキャラが利用されるのです。

「wish upon a polestar」では音が不安定で未熟さが強調されていることからも、ヒナノは応援したり守ってあげたくなるような未熟で「かわいい」存在として意識して描かれていることが分かります。

また、ヒナノとは対照的に自身の欲望を満たすために「かわいい」を作る「あざとかわいい」サナ姫は、「かわいい」の持たらす商業主義的な側面をとらえた存在であり、ポールプリンセスは「かわいい」に対してかなり自覚的であることがうかがえます。

そして、そうしたヒナノやサナ姫のような「かわいい」を通して描かれるのが「応援」という行為になってきます。

応援すること

前述したように「かわいい」は接近動機付けの働きがあり、それにより愛着形成や思いやりを誘導します。応援という行為もこれらと同様に「かわいい」によって誘導される行為となってきます。

「wish upon a polestar」では、ヒナノを応援する星型のペンライトを持った観客が描かれます。

ひとつは、ヒナノが星空を翼に空を飛ぶことから、あなたの応援があるから空を飛ぶことができるのだということで、私たちもヒナノを支える愛の一つであることを示しています。

そしてもう一つ、観客と同様にリリアもヒナノを応援する存在ですが、リリアは大乗仏教の阿弥陀如来がモチーフでもあります。つまり、応援するという行為は仏の慈悲の象徴として描かれているのです。
つまり、星のように輝き応援しているあなたの中には仏の慈悲の心(仏性)があるのだということです。

草木山川悉皆成仏(眼に見えないものを含め、この世に存在するすべてのものが、私たちを本来の姿に立ち返らせようと絶え間なく働き続けていること)なんて言葉もありますが、輝くポールスターだけが特別な存在ではなく誰もが悟りを開き仏に成れることを、もっと言えば誰もがその身そのまま仏であり、ありのままの自分を生きているということを応援という行為を通して照らしてくれているのです。

ポールプリンセスは「萌え」の文脈と「応援」を紐づけ、「かわいい」を用いて視聴者を「応援」に誘導することで、その行為の中にある「仏性」を照らしますが、それはまさに空に輝くポールスターによる導きなのです。

Wish upon a polestar

ここまで見たように、信じる、願うと言うことはそれ自体が救い働きの中にあることを意味します。私たちはすでにたくさんの愛の中ではためいていると言うことです。

北極星、ポールダンサー、おばあちゃんのプラネタリウム、星北ヒナノ、そして、ポールプリンセス‼︎

輝くポールスターは虚構の存在かも知れません。しかし、それは私たちを導く道しるべで、心のポールを照らしてくれます。

だから、北極星に願うなら、願いはきっと叶うのです。

おわり

ここまで読んでいただきありがとうございます。色々と考察を書き連ねてきましたが私の文章の拙さもあり、あまりよくわからなかったところも多かったのではないかと思います。
ただ、ポールプリンセスはなにかこれくらい考察できるくらいには深く想いを込めて作られてるんだなくらいは感じとっていただけてると幸いです。

北極星の輝きはそんなに強くはないかも知れませんが、それでも、一生懸命輝いてくれているんじゃないかと思います。

ヒナノちゃんは、ポールプリンセスは、まだ羽ばたこうと一生懸命頑張っているような状態です。
ヒナノちゃんたちと羽ばたいていけるよう一緒に応援してくれたら嬉しいです。

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