【ゼノブレイド3とは葬式である。】ゼノブレイド3考察・DLC予想
一応は考察と銘打ってますが、ゼノブレイド3のストーリーはDLCが前提と思われ現段階では明らかにされていないことがあまりにも多すぎます。
そのため今回は物語の大筋を整理するとともに、そこから予想される追加予定のDLCの内容とそこで描かれる物語について考えていこうと思います。
メインテーマについて
まずは、本作のメインテーマについてです。
本作のメインテーマは公式サイトにも書いてあるように「過去と未来をつなぐ、命の物語」でしょう。
対消滅
そんな今作で最も重要なモチーフが対消滅です。
対消滅とは、粒子と反粒子が衝突し、エネルギーが他の粒子に変換される現象。例えば、電子とその反粒子である陽電子が衝突して消滅し、光子を生成する電子対消滅などが有名です。
ちょうど父と母が子をなし、子に託して死んでいくことを想像すると良いでしょう。
作中では、対消滅という言葉でこそ語られることはありませんが、物語の発端である正と負の2つの世界が衝突による消滅、男女が交わるインタリンク、そこから起こる消滅現象と明らかに対消滅がモチーフになっています。
また、父と母が子に託すという意味ではシティでそれが象徴的に描かれています。
さて、そんな対消滅の重要な点は、消滅することと、消滅する代わりに光を放つことです。
ここで言う光とは、意志や想い、もしくは未来の象徴である子といったものと解釈して良いでしょう。
作中では、ゲルニカ、エセル、カムナビ、ヨラン、エヌ、エムなどなどたくさんの消滅してゆく中で放たれる光が描かれました。
未遂に終わりましたがセナとランツがNを道連れにしようとしたシーンもそうです。
消滅に伴い光を放つ対消滅は、”未来に想いを託すこと”の象徴であると考えることができます。
おくりびとの笛
消滅、それは即ち死。
その死とセットで描かれるのが本作でもう一つ重要なモチーフとなるおくりびとの笛です。
おくりびとの笛の音は作中至るところに散りばめられており、これも対消滅と並んで重要な役割を持っています。
おくりびとの笛の音は死者を弔うのと同時に、遺された想いを託されることでもあります。
送る対象が必ずしも人でない(遺品など)のも、命そのものではなくそこに遺された想いが重要視されているからです。
また、おくりびとの笛は単に笛の音のみでなく、笛そのものもクリスからノア、ミヤビからミオ、ミオからノアへと去り行くものから託される想いとして描かれています。
おくりびとの笛の役割が最もわかりやすいのが、エセルとカムナビ、執政官ピーと執政官オーの対比です。
どちらも対消滅をし命を落としますが、エセルとカムナビは送られ、ピーとオーは送られませんでした。
そのため、エセルとカムナビの想いは託されノアたちの中で生き続けますが、ピーとオーは特に記憶に遺されることはありませんでした。
去り行くものの想いを受け取るおくりびとの笛は、”遺されたものが想い託されること”の象徴であると考えることができます。
「過去と未来をつなぐ、命の物語」
対消滅とおくりびと笛。
ここまで見たように、対消滅は去り行くものが未来へと託す想いを、おくりびとの笛は遺されたものが託される想いを象徴します。
タイオンが語っていたように、想いとは命とも言い換えることができ、想いの継承とは命の継承でもあります。
託すものの想いと託されるもの。
託していった過去と託される未来。
この2つが重なり合うことで初めて生まれる物語がゼノブレイド3の描く「過去と未来をつなぐ、命の物語」なのです。
本考察は、ゼノブレイド3が死を肯定し、想いを未来へ託すことを描く物語であることを大前提としていますのでこの点についてはしっかりとおさえておいてください
問題点
さて、対消滅とおくりびと笛を主軸に据えることで「過去と未来をつなぐ、命の物語」を描こうとしていたのがゼノブレイド3であることはわかりました。がしかし、非常に大きな問題があります。
対消滅とおくりびとの笛。本作で重要なこれらのモチーフですが、なぜか物語終盤では脇に追いやられてしまい、あまりうまく機能していなかったのです。
EDに至っては対消滅もおくりびとの笛もあまり有効な使われ方をされませんでした。
個人的に、ここが本作のストーリーがあまり評価されていない原因ではないかと感じています。中盤までに提示していたテーマが終盤になって別のテーマに置き換わってしまっているのです。結果的に対象滅やおくりびとの笛そのものの必要性に疑念が出る物語となってしまいました。
次項では、物語上でその不和を生む原因となったオリジンとメビウスについて見ていこうと思います。
オリジンとメビウス
物語終盤にオリジンとメビウスの関係が明らかになったことで、物語はメビウスを倒し、オリジンを予定通りに起動させることへと目的が移ります。
ここから、明らかに本来のテーマから脱線しはじめてしまいますが、まずは、オリジンとメビウスにとは何なのかということについて見ていきましょう。
メビウス
メビウス、特にその親玉でもあるゼットについてみていきます。
ゼットは作中で語られるように、人々の不安や恐怖の集合体であり、人々の中にある変化を避け安定を求める心から生まれました。
変化を避けるがゆえに永遠を望み、時間を止めてアイオニオン(永遠)という世界を作り出しのです。
作中ではメビウスとウロボロスは似ていると言われていますが、メビウスもウロボロスもどちらも永遠を象徴するようなモチーフではありますので似ているのはある意味当然です。
しかし、彼らが決定的に異なっている点は、メビウスは物質的な生に縛られ永遠を生きる存在として、ウロボロスはシティに象徴されるように死と再生の命の循環による精神的な永遠を生きる存在であることです。(エヌとエムの話は主にこの永遠に対する認識の違いの話)
アイオニオンの世界が輪廻転生で表されることからも、メビウスを打ち破り物質的な永遠の支配から脱却することは解脱を表していると思われます。
オリジン
オリジンはゼノブレイド1とゼノブレイド2の世界が対消滅で完全に消えてしまうのを回避するために作られました。
世界を記録し、対消滅後の世界でその記録をもとに世界を再構築することで実質的に対消滅を回避できる装置です。
そんなオリジンは、本作の元凶とも呼べる重要な存在です。
それは、メビウスの永遠を求める心はオリジンに集積された記録から生まれたものであるからです。
オリジンを作ったきっかけである対消滅で世界が消滅していまわないようにという想いもまたメビウスと同じ死を恐れ永遠を望む心です。
そこから生まれたメビウスが、永遠を望んでしまうのはある意味当然であり、そういう点ではメビウスはオリジンの一部であるという認識もできます。
オリジンの再構築した世界は対消滅後に生まれる世界であるため精神的な永遠ではないか?と考えることもできなくはないですが、記録を保存し再構築するというのはヨランが作り出した泥人形と仕組みは同じであり、そこにあるものは精神的な永遠ではなく、物質的な永遠であると考えることができます。(ユーニやミヤビなど、肉体に記憶が紐づいているため、記憶そのものは肉体に等しいとも考えられる)
ここで重要なのは、オリジンとメビウスはどちらも永遠を求める心から生まれた存在であり、そこに本質的な違いは存在しないということです。
問題点
ここで問題が発生します。
メビウスたちを打ち破って止まっていた時間が動き出しハッピーエンドといきたいところですが、メビウスを打ち破ったところでその先にはオリジンの永遠の世界が待っているのです。
ただ単に、アイオニオンという偽りの永遠が終わり、オリジンという新たな偽りの永遠が始まっただけなのです。
個人的にここが本作が、「過去と未来を繋ぐ、命の物語」というテーマを描き切れなかった原因ではないかと感じています。
メビウスのみでなくオリジンも打ち破らなければ「未来を繋ぐ」というテーマを真に描くことはできないのです。
これは明らかに意図的な構成であり、この部分がDLCの追加ストーリーで描かれるのではないかと予想されます。
少しメタ的になりますが、オリジンやメビウスというのは、言ってしまえば
ゼノブレイド1やゼノブレイド2の世界がなくなって欲しくないと願うシリーズファンや製作者たちの想いが生んだ停滞の気持ちです。
ゼノブレイド1の世界とゼノブレイド2の世界の消滅を防ぐことを目的に創られたオリジンがその何よりの証明です。
これをを打ち破る物語を描くのであれば、当然シュルクやレックスたちの力を借りざる負えません。
ゼノブレイド3本編にシュルクやレックスたちをメインに出すわけにもいかないので、DLCを前提に物語を作ったのでしょう。
その結果ゼノブレイド3本編としては、真正面からテーマが消化しきれず、なんとも煮え切れない結末になってしまったのではないかと思われます。
弱者と強者
本編で強者と弱者の選択肢の話もまたメビウスたちをとおして幾度となく繰り返し描かれた重要な要素です。
ラスボスであるゼットの去り際もこのことに言及していることからも、ここにはゼノブレイド3おいて重要なメッセージが含まれていると予想されます。
ここで注目する点は、選ぶことのできない弱者は死ぬしかないということです。
ゼットは弱者が死を選ばざる負えない世界は嫌だといって消えていきますし、弱者の行きつく先は自死であると語られます。
ここで言う弱者と強者というのはあくまで相対的な関係であり、
例えば、メビウスであれば、自分たちの理の内にあるアイオニオンの住人達に対しては強者である一方、より上位のオリジンの理の力を持つノアたちに対しては弱者となってしまいその身を流れに委ねるしかないのです。
強者には選択肢があり選ぶとこができるが、弱者には選択肢がなく死を受け入れるしかないというのは、
メビウスはオリジンの理の前には弱者であるから、ノアたちにいつか打ち破られるその日をただ傍観するしかないように
消滅に向かう世界の理の前に、アイオニオンを作り世界を停止させたとしても消滅現象が起こり滅びゆく定めが変わらないように
より大きな力の前では、弱者には死ぬ以外の選択肢は与えられないということです。
もし、死以外の、永遠という選択を持ちたいのであればそれこそメビウスが時間を止めたように、ノアたちがオリジンの力を持ってアイオニオンの理を超えたように、強者になるしかないのがこの世界なのです。
しかし、ここにも大きな問題が存在します。
それはどんなに力を手に入れて強者になったとしても、それよりも大きい力の前には、だれでも弱者になりうるということです。
より大きな力、世界という理の前にすべての存在は弱者になりうるのであり、すなわち、世界の理である死からは逃れることができないのです。
これは、きっとオリジンも同じです。
作中では強者の力の源して描かれ、一見すると対消滅の回避に成功し永遠という選択をしたように見えるオリジンですが、このオリジンもまたアイオニオンが消滅現象を避けられなかったのと同じように世界の理の前にいつか死を迎えるしかないのです。
この世界の理の前にゼノブレイド3で、死んでいった者たちは一つの答えをくれます。
わたしたちは弱い。死は必ず訪れ、逃れることはできない。しかし、私たちは強い、自分たちがどう生きそして死に何を遺すのかを選ぶことができるのだから。と
エセルもカムナビもヨランもエヌやエムも、死を受け入れどう生きるかを選択しました。
未遂に終わりましたがセナとランツもそうです。
セナもランツもいつも自分の弱さと向き合っていました、彼らは自分たちの弱さと向き合っていたからこそ、未来を託すために死という選択をできたのだと思います。
弱さの上に成り立つ強さ、選べない世界で選ぶ意志。
きっとそのあり方こそがゼノブレイド3がもっとも伝えたい想いなのではないでしょうか。
終の剣とウロボロス
もうひとつ、本作での「ゼノブレイド」要素にあたる終の剣についてです。
終の剣はオリジンとケヴェスの女王(メリア)の心(モナド)から生まれ、ウロボロスストーンはオリジンとアグヌスの女王(ニア)の心(コアクリスタル)から生まれます。
どちらも同様の出自あることから、終の剣とウロボロスは同質の存在であることがわかります。
では、この終の剣とウロボロスとは何なのかということですが、
あくまで予想ではありますが、これはオリジンの自己消滅機能の一部分なのではないかと考えることができます。
注目するのは、ウロボロス化した時の終の剣の扱いです。
終の剣はウロボロス化した時のインタリンクゲージが溜まりヒートアップすることで解放されるタレントアーツとなっています。
ヒートアップするということは、それはつまり対消滅が近づくという意味です。
ウロボロス化とは本来対消滅によりオリジンの自己消滅を起こすための機能で、終の剣もそれに紐づいているため対消滅が近くなることで顕在化すると考えれば辻褄が合うのではないでしょうか。
「世界が命を縛るなら、世界を断つ」
終の剣という名も、オリジンを終わらせる剣であるとするなら意味が通ります。
アイオニオンの理である火時計を壊す時は必ず、ウロボロス化と終の剣はセットで描かれていました。
であれば、アイオニオンと同質の存在であるオリジン、その理を壊す存在もまたウロボロス化と終の剣であると考えられるのではないだろうか。
終の剣とウロボロスによって描かれるゼノブレイド3の「ゼノブレイド」とは、偽りの永遠を望む世界を断ち切るための剣であり、「未来を繋ぐ」ための死と再生の循環の意志なのではないだろうか。
ただ、終の剣もそれ自体はきっかけでしかなく、それを使うものの想いが重要であると言っていました。
同じ終の剣でもノアとNのそれが全く異なっていたように、同じインタリンクでもウロボロスとメビウスのそれが全く異なっていたように
終の剣やウロボロスがどういう意味を持つかはあくまで使うものの想いによって変わると思われます。
あくまで力は力でありそれをどう使うかは持ち主次第だということなのでしょう。
DLC予想
さて、ここからが本題のDLC予想です。
ここまで見てきたようにゼノブレイド3は消滅を肯定する物語であり、DLCでは、偽りの永遠の世界であるオリジンを打ち破り、消滅することによってその意志を未来に託す物語になると予想されます。
(EDではオリジンの再構築した世界は二つに分かれましたが、再び出会うことを予見させています。シュルク、レックス、ノアが一同にそろうにあたり再び世界が一つになると思われます。)
ハナ
さて、ここで重要な役割を担うであろうキャラがいます。
EDラストに登場したハナです。
ハナはオリジンの起動と共に目を覚ましていることや、ハナが眠っている場所に向けてニアが「ここには全ての情報が集まってくる」と言っていることから、ハナとオリジンは非常に密接な関係にあることがわかる。
(オリジンはトラと思わしきノポンが作ったので当然といえば当然)
ハナとオリジンの詳しい関係については不明だが、ハナがオリジンにおける重要な役割を担っていることは見て取れます。
オリジンそのものとは違う場所に居たことからもハナはオリジンにおける外部端末のような機能を有していることがわかります。
このことから、ハナはオリジンにおいてゲートにおけるトリニティプロセッサーのような役割をしているのではないかと思われます。(人工生命体である点、全ての情報が集まってくるという点などはよく似てる)
オリジンと密接に紐づいているハナはオリジンにおいて神に等しい力を持った存在であると考えることができるのではないでしょうか。
ここでゼノブレイド2を思い出してください。
ハナは、ゼノブレイド2で「ハナが世界を壊してしまいそうになったら、自分を壊して欲しい」と言っていました。
そして、ハナJDはジャッジメントデイ、最後の審判です。
最後の審判とは、神が世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという終末思想です。
もしハナがオリジンにおける神のような存在であるとするならば、DLCはハナがオリジンの神としてオリジンを消滅させる展開になるのではないでしょうか。
少なくともハナがラスボスかもしくは、それに匹敵する重要な存在になるのことは確実でしょう。
そして、弱者と強者で述べたようにゼノブレイド3の示す道は、死という弱さを受け入れどう生きどう死ぬかを選択することです。
オリジンの神であるハナの意志を超えて、オリジンを自分たちの手で破壊することで、神の与える死という定めを超えて選択する意志を描くのではないかと思われます。
そうすることで、「ハナが世界(オリジン)を壊してしまいそうになったら、ハナ(オリジン)を壊してし欲しい」というハナとの誓いを守ることができるというわけです。
そして、神を超えて自身の死を選択する時放たれる想いの光は、おくりびとの笛の音にのってノアの方舟のごとく未来へ託される。
DLCではそんな物語が待っているのではないでしょうか。
(さきほど終の剣とウロボロス化がオリジンの自己消滅機能の一部であると予想しましたが、この自己消滅機能はハナJDの最後の審判に紐づいているためではないかとも考えることができます。)
最後の審判とレクイエム
最後の審判と本作のテーマがどのように絡まってくるのかということですが、ここにもしっかりと意味があります。
最後の審判では、神がすべての人間を地上に復活させその生前の行いを審判し、天国で永遠の命を授けられる者と地獄に堕ちる者に選別しますが、キリスト教では死者の弔いの曲であるレクイエムに、怒りの日という最後の審判をテーマにしたパートがあるのです。
レクイエムでは、死者が最後の審判の後に天国へ行き永遠の安息を手にするように願います。
この永遠の安息とは、つまり、精神的な永遠です。死者の想いが生前の行いによって未来に託されるかどうかが決まり、想いを託すことのできたものは永遠の命を手にする、そう考えるとゼノブレイド3で描かれてきた物語と合致します。
おくりびとの笛もレクイエムも死者の弔いの曲である点で同じであり、当然、死とその命と向き合うゼノブレイド3のテーマと最後の審判は非常に関係性の深いモチーフであると言えるのです。
ゼノブレイド3
最後にここまで考察したうえでゼノブレイド3とはなんなのか、DLCで描かれる物語の意味はなんなのかということですが、
端的に述べるのであれば、
ゼノブレイド3とは、葬式です。
ゼノブレイド1とゼノブレイド2の世界が消えてほしくないという想いからできたオリジン。
その消滅と向き合い、そこから放たれる光を、想いを、おくりびとの調べと共に未来へ繋いでいく。
ゼノブレイド1とゼノブレイド2の死と向き合うことで、ゼノブレイドシリーズが未来へ進むための儀式がゼノブレイド3なのです。
それが「過去と未来を繋ぐ命の物語」の正体というわけです。
おわり
ここまで色々とみてきましたが、あくまで個人の感想、考察、妄想です。
実際にどんな物語、どんなメッセージが紡がれるかは何もわかりません。
しかし、本考察を読んでゼノブレイド3の秘める可能性を少しは感じ取ってもらえたのではないでしょうか。
本考察を妄想の種の一つにでもしながら、ゼノブレイドシリーズの総決算であるDLCの追加ストーリーを心待ちにしていただければ幸いです。
おまけ
ラッキーセブンとは
なぜノアの終の剣がラッキーセブンという名前なのかについてです。
ラッキーセブンという名前はあまりにも特徴的かつ作風から浮いた名称なため、そこにはそれなりの意味があると考えられます。
ラッキーセブンしかり、フォーチュンクローバーしかり、このゼノブレイド3には”幸運”という要素が描かれることが多々あり、これらは”幸運”そのものを表していると考えられます。
作中でノアがNと違う道を選べたのは「”運”が良かっただけ」というセリフがあります。繰り返される輪廻の中、様々な出会いに恵まれてノアはNと違う道を選ぶことができました。
この偶然の出会いの”幸運”の象徴がラッキーセブンやフォーチュンクローバーというわけです。
ラッキーセブンは何かと言えば、それは明白で「ゼノブレイド3」そのものです。
ラッキーセブンは終の剣でもあるため、メタ的に見ると
「ゼノブレイド3」と出会えた幸運が、プレイヤーに偽りの永遠を望む世界を断ち切り未来を繋ぐための意志を与え、プレイヤーがNと同じ道を選ばない選択につながるということです。
フォーチュンクローバーも似たようなものです。
ユーニはタイオンを4番目と言っていましたが、4番目とはフォーチュンクローバーの四葉のクローバーなので、つまり、タイオンは私の運命の人だということです。
この出会いはウロボロスストーンによりもたらされた”幸運”であるため、ラッキーセブンのそれと同じような意味合いを持ちます。
ここからわかるのは、ゼノブレイド3は意志の物語であると同時に、実際にはそこには自由意志などはなく、ただ”幸運”があるだけだという思想があるということです。
与えられた出会い、与えられた”幸運”があなたの意志を作っているのだと。
ラッキーセブンという名前には、ゼノブレイド3との出会いがあなたにとっての”幸運”であって欲しいという願いが込められているのだと思います。
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