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【ワッチャプリマジ! 】第49話「マナマナ・マジパ・チュッピ」感想・考察

今回はジェニファー救出回。
ジェニファーとリューメ、ラブエレメンツ、ワッチャ!プリーズ!マジック!、マナマナマジパチュッピなどについて見ていきます。

ジェニファーとアポローン

Lux Aeterna

アポローンと同化したジェニファーが放つ、全てを焼き尽くす灼熱の炎。「Lux Aeterna」について見ていきます

LuxAeterna(永遠の光)というタイトルはキリスト教の葬式で使われる曲であるレクイエム(鎮魂曲)の一節から引用されていています。

人が争いを求め世界染めるとき
この炎振り翳し、悲しみの常世を終わらせよう

この争いとは単純にチュッピとマナマナのことだけではなく、道人と英吉が喧嘩をしていたように、、平和を求めるマツリダと争いを求めるフェスリダが喧嘩をしたように、争いとは二元論的な思想そのものを指します。

さあ、往こう 炎は剣 その光筋は安息へ続く
目を閉じても 瞳に残る 灼熱の道へすべてを誘おう Lux Aeterna
(中略)
さあ、往こう 炎は剣 その光筋は安息へ続く
せめて君のために祈ろう 灼熱の道を渡る君のために Requiem Aeterna

灼熱の道とは灼熱ドリーマーにあったように夢の道です。
LuxAetranaはその炎で偽りの夢を燃やし尽くし、それでも残る夢を、マジを色濃く映し出します。
偽りの夢に燃える阿智彦のマジは焼き尽くされ、チュッピとマナマナが手を取り合う新たな道を歩き出しました。それはフェスリダも同じです。
偽りの夢が燃えつきたことで、本当に大切な”プリマジが好き”という気持ちを思い出しチュッピとマナマナが一つになれたのです。

「君のために祈ろう Requiem Aeterna(永遠の安息を)」
チュッピとマナマナ、二元論に囚われた苦しみの世界からの脱却を願う祈りの歌が「Lux Aeterna」なのです。

なくならないマジ

ジェニファーはLux Aeternaで全てを燃やし尽くしました。
ワッチャもマジも。
しかし、全てが燃えつきてなお、それでも残るマジがありました。

まつりのマジ、それは太陽であるジェニファー自身が与えたマジです。
ファンであるまつりはジェニファーの鏡のように、ジェニファーのマジをそこに映し出します。

ジェニファーはまつり(ファン)という鏡を通して自身を見つめ直すことで、マジは決して消えないことを、そして、そこにあるマジを、自分の好きを信じる勇気をもらいました。
(これは、れもんが9話で鏡を見て自分の姿を見つめ直し、みるきが44話でまつりのマジを見て自分の大切にすべきものに気がついたのと同じです。)

他者は自分の鏡。
ジェニファーがこれまで太陽として与えてきた愛が、まつりを通して返ってきました。自分が相手に与えたものは巡って返ってくる。
自分の気持ちに正直にならないジェニファーに、阿智彦も本音を全てさらけ出すことはありませんでした。
だからこそ、他者と向き合い自分を見つめ、その行いを正していくことが必要なのです。
鏡をみて自分を正す、やることはおしゃれと一緒です。

太陽のエレメンツ・アポローン

太陽のエレメンツ、アポローンについてです。

プリマジスタたちよ、あなたたちの想いしかと受け止めた
ジェニファーの孤独、そして太陽の悲しみそのすべてがあなたたちのプリマジによって、ありがとう 

ラブエレメンツの力によってジェニファーとアポローンは分離することができましたが、ここでのアポローンの感謝はやや唐突に感じたのではないでしょうか。

このことで何より重要なのはアポローンが感謝している点です。
アポローン自身がジェニファーの孤独を癒すことを望んでいたのです。

では、なぜジェニファーをあんな姿にしてしまったかというと、それは太陽だからです。

アポローンは太陽のエレメンツ、太陽は熱を与えることはできますが、一方で周囲の期待という太陽に熱く照らされ苦しむジェニファーに寄り添うすべはありません。
そんな太陽であるアポローンができることは一つ、ジェニファーと一体となりその全てを焼き尽くすことによってジェニファーの悲しみを取り除くことだったのです。
つまり、アポローンはジェニファーの孤独の苦しみを悲しみ、そのための救いの手として、ジェニファーと同化することを選んだのです。
(33話のひなの回も同様に、太陽に照らされ苦しむひな先輩が描かれます。このとき、フェニックスはひなを熱さないよう冷たく静観していました。これがフェニックスの庇護下にあるひなと太陽と共にあったジェニファーとの違いになっています。)

太陽のエレメンツは時に、全てを焼き尽くしてしまう恐ろしい力を持っていますが、その太陽としての輝きは多くの人々に愛も与えます。
決して、アポローンは単純に善悪で片付けれる存在ではないのです。

ラブエレメンツ

太陽と愛

太陽はその光でプリマジスタを熱く照らしますが、そんな太陽で火照った身体を冷ましてくれるのが寄り添う愛です。

34話のひな回では、ひなにあまねやプリマジスタたちが寄り添うことで再びステージに上がることができました。この時、まつりも必死で行動を起こしたことで、多少ですがひなに寄り添うことができました。

ラブエレメンツとアクアエレメンツは同じ愛を象徴したエレメンツで同様の性質を持っていると考えられます。
ジェニファーもラブエレメンツのまつりに寄り添われることで熱くなった身体は冷まされアポローンと分離することができたのです。

本来まつりは応援するファンであり、太陽のように他者を熱く照らす存在です。過去にはそのせいでジェニファーに影が落ちることもありました。
しかし、3150バイブスコーデによって込められたみんなの想いに触れ、自分を支えてくれる想いに気づけたことで、ジェニファーに寄り添うことができたのだと思います。

ただ、一つ注意しておきたいのは、寄り添い冷ますだけが愛ではないということです。
過去にひなに寄り添うだけだったあまねが、弥生ひなとしてその背中を押すこともできるようになったように、炎も水も合わさって愛の水なのです。
(18話では、ウンディーネ先生も「水は定まらず形を変えるもの」とあまねの心の扉をひなが力技で開けたように魔法の力でこじ開けていました。)

今回のまつりもそうです。ジェニファーに単に寄り添うだけでなく、自分の心に嘘をついているのであれば「違うよっ!」と厳しくす断ずる。
そういう相手を思いやる姿勢があったからこそ、まつりはラブエレメンツに選ばれることができたのです。

ヘブンズコーデ

ここで一度、改めてヘブンズコーデとは何なのかについて見ておこうと思います。
ヘブンズコーデはエレメンツとの絆が鍵となって生まれ、色はブライトネスエレメンツに似た白色のコーデです。

まず、重要なのはブライトネスエレメンツと似ているということです。
ブライトネスエレメンツはみるきが自分のかわいいを最大限に発揮するために、れもんの魅力を引き立てることで手にしたコーデです。
自分の好きを大切にしそのために周囲を思いやる気持ち、それがブライトネスエレメンツです。
そのブライトネスエレメンツによく似ているヘブンズコーデにも同様の意味があるのではないかと思われます。

ヘブンズ化の物語はプリマジスタたちが自分を好きでいてくれるまつりを支えることに始まり、まつりを支えることに至ります。
エレメンツとの絆が鍵なのも、自分の好きと相手を思いやる気持ちです。
特にあうるとボルトは顕著で、あうるの好きである科学と向き合うことがボルトを思いやる気持ちを与えました。
みるきのヘブンズ化だけは自身の原点を見つめなおす形になっているのも、みるきがすでにヘブンズ化に必要な素質を持っていたからのように思います。ルークスもみるきも、自分の好きを貫きお互いを尊重し合うことで絆を結んだのです。

ラブエレメンツヘブンズ

ふたりの愛の、そしてみんなの愛のつながりをハートに込めて

ふたりの愛とは、当然チュッピとマナマナの絆のことですが、マナマナは内面の自己でもあるため、自己愛とも言えます。
(33話でもあまねがアクアエレメンツを愛することと自分を愛することが等しく描かれていました。)

自己愛とは、つまり自分の好きな自分で居ること。
まつりであればカッコイイ自分でいることですし、
みるきであればかわいいみるきでいことです。

自分を愛せない状況とはどういうことかと言えば、あまねが水と炎とそれぞれ相反する想いの中で苦しみ自分を愛することができなかったように、自身の内に対立が存在することが原因です。
(例えば、1話のまつりのように、魔法に憧れる気持ちと、チュッピには魔法なんて使えないという想いのように。)
マナマナとチュッピの絆というのは、その対立している感情の融和も意味しており、ゆえにマナマナとチュッピの絆が自己愛に繋がるのです。
そして、マナマナとチュッピ、その絆の架け橋となるのが胸の高鳴り、ワッチャなのです。

マジだから好き。
みんなのプリマジが好き、ジェニファーのプリマジが好き。
ジェニファーのために。みんなのために。プリマジのために。

みんなの愛のつながりとは、つまり他者愛です。
自分のマジを好きを貫くことが、相手を思いやる気持ちになって愛が繋がっていく。
まさに、「マジでつながるリーチラブハート」なのです。

だから、これをすでに持っていたまつりはヘブンズコーデを手にすることができたのです。

太陽は、ジェニファーは、これまでたくさん愛を与えてきた。
その中に私もいて、もう一人になんかできないよ

ここではもはや、自己と他者という境界すら曖昧です。
自分の鏡という他者に映った自分が自分であるように
デュオプリマジが二人だけでなく、自分とそれを支える他者みんなで成り立つプリマジであったように一心同体、One for all,ALL for one

みんなが自分のマジを、自分の好きを貫いた世界は、お互いが思いやり支え合う、そうやってできた相手を思いやる愛と友情の象徴がラブエレメンツとラブエレメンツヘブンズなのです。

ワッチャ!プリーズ!マジック!-What’s your “Please” Magic?-

プリーズ”Please”の意味

「ワッチャプリーズマジック」のタイトル。これは当然「ワッチャプリマジ」をもじったタイトルなわけですが、
”Pretty Magic”の”Pretty”にあたる部分に”Please”が入っています。

なぜ”Plese”なのかというと、欧米では
what's the magic word?という慣用句が
「( 人に頼み事やお願いをするときに、please をつけ忘れている人に対して ) please をつけてお願いしてください。
という意味で使われるところから来ています。(ファミレスでウエイターに失礼な物言いをしている子をいさめるのを想像すると良いでしょう)

つまり、ここでの”Plese”とは思いやりの気持ちという魔法を表しています。
曲中の表現でとるのであれば、”友情”としても良いかもしれません。

この曲のコーデがヘブンズコーデなのも、まさにそれが他者への思いやる気持ちを象徴しているからです。

Pretty Magic

”Pretty”の部分に充てられた”Please”が”思いやり””友情”であるならば、"Pretty"とは何でしょうか。

「みんなかわいいお」

過去に「自分だけがかわいい」と言っていたみるきが「みんなかわいい」と言います。みるきの世界が広がったことで周りを尊重する思いやりが生まれたためです。
この”かわいい”とはつまり、可愛いものを慈しみ思いやる仁愛の精神です。

好きなものを思いやり大切にしたいと思う気持ちとも言い換えることができるでしょう。

つまり、”Prett”も”Please”と同じ思いやりの気持ちなのです。
これは、好きな気持ちが繋がって思いやりになるヘブンズコーデと同じです。

"Pretty"と"Please"のダブルミーニング化は、シリーズを冠するプリティーという言葉の中に「自分の好きを貫くことによって生まれる思いやりの気持ち」という意味を新たに与えました。

みんながプリマジスタ

今回のプリマジイリュージョンは「みんながプリマジスタ」
ここで言う”みんな”とは文字通りみんなです。

プリマジスタと言ってもステージに立って歌って踊る必要はありません。
プリマジスタの条件は一つ、マジがあること、つまり、好きなものがあることそれだけです。
実際、ジェニファーを救う際も歌や踊りの力ではなく、そこにあるマジだけでジェニファーを救いました。
裏方で支える阿智彦や道人、祈瑠も、マナマナたちも、プリマジスタを応援するファンもみんながマジを持っているプリマジスタなのです。

これは、プリパラの「みーんな友達、みーんなアイドル」と同じ概念ですが、少し異なる点があります。アイドルという既存の概念を使ってる都合、歌って踊ることがアイドルの条件であるということです。
一方、プリマジスタはもっとシンプルで自分に好きなものがありマジになっていることです。
実質的には同じ概念ではありますが、みんながプリマジスタの方がよりシンプルに洗練されているように感じます。

みんなそれぞれのマジがあり、それぞれのプリマジがある。
それに気づくことができれば、相手のマジを尊重し思いやり支え合えうことができます。
そうして、自分だけではできなかった大きな力を発揮することができ、それはまさに奇跡のような魔法の力になる。
それはまさにプリマジイリュージョンなのです。

ジェニファーとリューメとプリチャン

プリチャンアイドルの悲しみ

2人の関係において、まず重要な前提として、リューメは概念的に死んでいるということです。
作中では単に魔法界に引き裂かれたとされていますが、墓地のようなところに眠っていることからも”死”の言い合いを持つことは明らかです。
そして、もう一つ重要なのは、リューメの眠る場所にはプリチャンのキラッとボタンと同じマークがある点です。

このような点からジェニファーとリューメの関係は部分的にですが、プリチャンアイドル(プレイヤー)とプリチャンのマイキャラを表していると思われます。

魔法界つまり、シンソフィアによってマイキャラは封印され、別離状態にあり、実質的に死んでしまった存在がプリチャンのマイキャラであるリューメなのです。

ジェニファーとリューメの関係をそのような視点で見ると、
魔法界(シンソフィア)によってリューメと引き裂かれ、父親である阿智彦(タカラトミーアーツ)は自身の夢ばかり追いかけその悲しみに寄り添ってはくれず、さらには望まないプリマジをすることを求めてくる。
これがジェニファー(プリチャンアイドルたち)の悲しみを生んでしまったと解釈することができます。

実際、今回のジェニファーのステージはプリマジのひな壇形式ではなく、プリチャンのようなキャッスルステージでした。

プリパラからプリチャンの移行時はマイキャラパーツの引継ぎもできましたしCGモデルもアップグレードという感じでした。しかし、プリチャンからプリマジへの移行はマイキャラの引継ぎ要素はなくCGモデルも全く持って別モノです。
プリチャンの筐体のサービス終了は、マイキャラを愛していた人たちにとっては愛するものの死に等しかったことでしょう。
その怒り憎しみ悲しみから、プリマジそのものを恨み消し去ろうとしてしまうのも当然のことです。

たとえ世界が滅んでも

ジェニファーは世界のためにと自身の心を偽りプリマジをつづけていました。それは、周囲のことを思いやれる気持ちを持っているからです。
ジェニファーが最初からヘブンズコーデだったのもその根底には思いやる気持ちあるからです。

「Don’t stop my love.」
まつりとみんなの愛に支えられ、自身の愛に正直になることのできたジェニファーのコーデは、思いやることから離れヘブンズコーデからエレメンツコーデに姿を変わります。

リューメ二度と離さない世界中が焼き付くされても

プリチャンのマイキャラを愛することでプリマジは、プリティーシリーズは滅んでしまうかもしれない。
しかし、あうるが科学とその危うさと向き合ったように、なにが正解か未来はわかりません。
もしコンテンツが滅びたとしても、あなたはあなたの愛に正直であっていいのだと、そう教えてくれます。

仮にも販促アニメで、コンテンツが滅びてもあなたの愛を大切にしようという、このメッセージの意味はしっかりと受け止める必要があるでしょう。

リューメの復活

このような視点でジェニファーとリューメの関係見ていくとワッチャプリーズマジックによってリューメが復活し二人が再会することができた理由も見えてきます。

つまり、チュッピとマナマナ、ユーザーと企業、みんながプリマジを楽しみ手を取り合うことができれば、奇跡が起きてプリチャンのマイキャラと再び会うことができるのだということです。

(天国での再会なのでもしかするとパラダイスで会えるのかもしれません)

みんなでプリマジを楽しむことが、お互いを思いやる気持ちに繋がり結果的に多くのワッチャ(思いとお金)を生み奇跡を起こすのです。

プリチャンだけではありません、プリパラも、プリリズも、キンプリだってそれぞれが本気のマジで楽しんだならきっと誰も予想もできないような奇跡が起こるのではないでしょうか。

マナマナ・マジパ・チュッピ

今回のサブタイトルにもなっている「マナマナ・マジパ・チュッピ」

上でも話したように、マナマナとチュッピは単に種族の違いという以上に、二元論の象徴的な意味合いがあります。

二元論の世界からの脱却。
その象徴が「マナマナ・マジパ・チュッピ」というマナマナとチュッピの絆なのです。

そして、それはまつりとみゃむの絆が示してくれたように、自分自身を愛すること、自分の好きな自分で居ることでもあります。

マナマナとチュッピ、二人の自分、自身のうちで二つに分かれている心をワッチャが繋いでくれる。
そうやってワッチャで繋がる絆、自己愛、そして、それが重なり合いそこから生まれる思いやりの心、相手を思いやることで返ってくる想い、それらが繋がって奇跡のようなことが起こります。

だから、奇跡を起こす魔法の合言葉は「マナマナ・マジパ・チュッピ」なのです。

最後に

ユーフォリアレビューも、プリマジも、エンターテインメントで綺麗ごとの夢物語です。
現実は厳しくそう簡単には上手くいかないことばかり、まつりとみゃむだってすでに別れが予見されています。
しかし、たとえ夢物語だったとしても、ひゅーいや道人がユーフォリアのおとぎ話を信じ貫いてきたように、自分の中にあるワッチャを信じ続けることが大切なのではないでしょうか。

最後に、ここまで見てきて色々ゴチャゴチャと分かりづらかったと思いますが、プリマジが伝えたいこと自体はいたってシンプルです。
プリマジをワッチャのままに楽しもう、ただそれだけです。
そうすれば、きっと奇跡は起こる、そう、自分を信じて。

「Let's enjoy プリマジ!」

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