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新エートス建国 ~とびきり素敵な住み家のつくりかた~ (プロローグ)

『ゆるゆる国』と『きっちり国』のおはなし

 むかしむかし、『ヒポポン国』とかつて呼ばれた国がありました。その国から、現在の『ゆるゆる国』と『きっちり国』にあたる二つの新国家に分かれていった頃のお話。


プロローグ

 当時、ヒポポン国はもう限界だった。国民もみんなうすうす、「限界だよね」と気づいていた。気づいていたけど黙っていた。
 国は借金まみれだったし、政治家やお役人たちはみんな、「自分はうまくやってる感」を演出していたけれど、マズイことを指摘されて明るみに出そうになったりすると、てんでダメだった。議会での追及に対しては、ちっとも説明になっていない答弁を繰り返してのらりくらりとはぐらかしてばかりいた。あるいは、たった1日後には真っ赤な嘘だとあっさりバレるような雑すぎる嘘をついたりしていた。そうでなければ話をすり替えて、いつもいつもテキトーにその場しのぎで乗り切ろうとしていた。
 国民はニュースでそんな様子を知らされるたびに、「汚いことをするならするで、せめて政治家らしく鮮やかに嘘をつき通して国民を騙してくれればいいのに」と、ため息交じりに思っていた。思っていたけど黙っていた。

 でも、国民ももう限界だった。長引く不況はすっかり慢性化していたし、そのうえびっくりするほど大きな台風や洪水や地震やなんかがたびたび起きるようになり、住む家がなくなってしまう人たちだって、大勢になってしまっていた。そんな人たちは、再起を図るべく気力を振り絞って何とか立ち上がったはいいものの、一度ハンデを背負ったが最後、不利すぎる戦いから二度と抜け出すことができない苛烈な日々の連続に疲れ切ってしまい、もう倒れる寸前だった。
 そこへもってきて、さらに悪いことには伝染病が発生した。あれっ?という間に気づいたら、世界中隅々にまで広がってしまっていた。それはもう本当に最悪な二年間だった。世界中であれよあれよと大勢の人が苦しみだし、患者が病いと闘うためのベッドを次から次へとどんどん準備しても全然追いつかず、ゼイゼイ苦しみながらとうとう死んでしまう人がたくさん出た。伝染する病気だから家族にも恋人にも会えず、誰にも「さようなら」も言えないままで大勢が亡くなった。
 冷酷なその流行り病いの凄まじさが伝えられると、誰もが震え上がり、自分だけは絶対に助かろうとマスクの奪い合いが市中のほうぼうで起こるようになった。自分だけは絶対に罹るまいと心に決めた善男善女たちの目には、周りの全員が隙あらば自分に向かって病原菌をばらまいてくる敵かのように見え、まちじゅうが疑心暗鬼になっていった。
 一方、病院の中では医療従事者たちが、来る日も来る日も大勢の患者の治療に当たり続けていた。どんどん増え続ける患者数の報告に絶望的な気持ちになりながらも己を叱咤激励し、すでにくたびれ果てた体に鞭打って患者一人ひとりに声をかけて懸命に励まし続け、もはや戦場と化した隔離病棟で奮闘し続けていた。あらゆる手立てを尽くした甲斐もなく、苦しみ抜いた末に最後の呼吸さえ止めてしまった死者たちが累々と横たわる前で無力感に打ちひしがれながらも、即座にそのベッドを次の患者のために整える日々は、もう終わりがやってこないかのようだった。気力と体力の限界をとっくに超えた中で消耗し続けた者たちは、もはや涙も出ないほどに心が無感覚になった頃、一人またひとりと自らも病魔に侵され倒れていった。
 国中で連日フル稼働の火葬場は全く追いつかず、お墓をたてるための場所で国土のほとんどが埋め尽くされんばかりだった。

 伝染病との長い長い戦いが終わった頃には、ヒポポン国中が疲労困憊していた。
 でも、気力を振り絞って立ち上がらなければいけなかった。自分たちのリーダーが立派な政治で国を立て直してくれるような大人物じゃないことは、前からみんな知っている。聖人君子でないのならいっそのこと、すこぶる悪知恵を働かせて諸外国と丁々発止で渡り合って、我が国をちゃっかり有利に導いてくれる奸物なのかというと、そういう器でもない。疲労困憊の自分に向かって、いまこそ政治のリーダーシップを発揮し、手を差し伸べ、引っ張り上げ、肩を貸して立ち上らせてくれる人は、どうやらいない。
 考えてみれば、この国の政治家は、みんなみんなおじいさんだった。年老いた上にくたびれ果ててしまっているおじいさんに向かって、疲れ切った自分と家族の全体重をさっさと引っ張り上げろと命じるわけにもいかなかった。
 「俺たちのリーダーがこんなんじゃあ、いったい俺たちはこれからどうなっていくんだい?」

(つづく)

続きをよむ 第1章 前編

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