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はじめの一歩を踏み出すのは自分から

#2023/4/11  #日記2

みんなで集まる時、食事の時など、日常のあらゆる場面でやってくるものがあると思う。

だんまり」だ。

関係の浅い人同士で集まった時、みな、何を話していいかわからず沈黙する。

そして互いに「誰かが何か話してくれないか」と、人に淡い期待を抱いてしまう。相手の行動なんて、何もわからない私なのに。


みなさんはこんな時、自分から語るタイプだろうか。それとも、誰かが話してくれるのをひたすら待っているだろうか。

私は、後者だ。いつも誰かの「何か」を期待してしまう。しつこいぐらいにずっと。


しかし、今日思ったことがある。誰かが動くのを待っているのは、しんどい。

いつまで? 誰が話すの?
わからないのに、ただ私は「待ち」の姿勢を貫くのだ。

そして、いつしか相手への期待が不満や焦りになっていく。自分にはコントロールできないことで悩んでしまったのだ。



。。。

沈黙を破り、今日 自分から話してみた。

話した後は、他の人も口々に話してくれた。話し始めるまでの心配なんか忘れるぐらい、話してからは、何ともなかった。


ちょっと、失望にも似たような、そんな安堵を私は覚えた。

ああ、なんだ。
そんな単純なことなのか。
「自分から動く」ということは。


大人になっていくにつれて、初対面の人や世代の違う人と話す機会が増えていく。それは、4月だけでなくどの場面でも繰り返し起こることだ。

その度にいつも「あなたはどうしたいのか」が問われていく。

新しい環境、はじめての人、苦手な人、たくさんの人の中にいても、私は一歩踏み出したい。

たとえ勇気がなくても。たとえ失敗しても。


その度に、新しいチャンスをくれて、気付きを与えてくださるのは神(しゅ)である。

私たちは何度でも、この神の恵みを受けて立ち上がることができるのだ。

しかし、しゅ(神=イエス・キリスト)は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

聖書   コリント人への手紙 第Ⅱ 12章9節


書くこと、話すこと、ご飯を食べること。

日常の小さなことに隠れている神様の恵みを、日々いただいて歩もう。主とともに。



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