千葉県市原市の逆開発について

☆作られた田舎、加茂地区へ行ってきた

筆者は2年前に受講した「プロジェクトで学ぶ現代社会」という授業を通し、千葉県市原市に出会った。筆者は授業内の現地リポートとして、市原市に足を運んだことにより、千葉県市原市の虜となった。その後、個人的に地元のお祭りに参加したり、自ら現地の様子を視察し、何度も市原市に訪れている。その経験と市原市役所の方の取材を通し、市原市の逆開発についてリポートしていく。

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千葉県市原市。千葉県のなかで一番細長く大きい街。またその中でも加茂地区は市原市の3分の1を占めている。市原市は都市圏から公共交通機関を利用すれば、約1時間弱で行くことが出来る街である。
市原市の大きな駅は「五井駅」である。五井駅から伸びている小湊鉄道に乗って南部に向かうと、まるでタイムスリップしたような空間が広がる。
上総牛久駅から汽車の外装をした鉄道に乗り換え、さらに南部へ進む。
沿線に咲く季節の花は電車に乗る私たちを癒してくれる。季節ごとに変わる色と山の自然な緑はまるでジブリのような空間である。

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一駅一駅全て人の手が施されている。例えば上総牛久駅には新しくリノベーションされたカフェ。そのカフェのコーヒーとカステラを頂き、ホッと息をつくとなんだかアットホーム感がただよい、田舎に帰ってきた童心を取り戻せる空間である。一方で駅を出て右手にあるお手洗いは一つ一つの部屋ごとに物語があるような作りである。しかし、周りが作られた田舎であるからこそそのトイレは異様に綺麗すぎるため、ミスマッチだと思ってしまった。

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牛久駅を後にし、小湊鉄道を進み続けると終点の養老渓谷駅に着く。そこは市原市の南部に位置する。
養老渓谷駅を降りると、一昔前の雰囲気を感じられる空間が広がる。
それはまさに作られた田舎であった。いつも通る電子改札とは違い、人の手で切符を切ってもらう。

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駅を出た中央には「逆開発」と書かれた看板が置いてある。

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そこには『【逆開発】はじめました。今から5000年以上前、この辺りでは縄文人が自然との共同生活を始めました。養老川の追いなる恵み、雑木からの食料確保、燃料(火)としても活用していたことでしょう。われわれ現代人は進化したのでしょうか?自然との共存なしにこれからの生活は成り立つのでしょうか?こたえは「逆開発」の先にある!のかも・・・・。今から10年、木を植え花の種をまき、個々養老渓谷駅前は雑木が茂る森になります。トリが歌い、チョウが舞い、ヒトが集う・・・。まずは、初めて見ました。SATOYAMAは懐かしい未来です。(小湊鉄道より)』と書かれていた。


☆市原市の逆開発

①駅の逆開発

先ほどの看板の文章をよく読んでみると、何点か気になってしまう。縄文時代?雑木が茂る森?トリが歌う?チョウが舞う?人が集う?逆開発をすることで本当にそれは実現できるのか。逆開発をすることで懐かしい田舎の空気を出すことは良いことであるし、新しいやり方であり、とても興味深いが、5000-1万年前の縄文までさかのぼらなくてもよい気がした。ある意味そのような点としては「作られた田舎」という手作り感があるのかもしれない。養老渓谷駅は有人駅。既述した通り、人の手で切符を切ってもらう。電子改札はない。これまでに味わったことのないひと昔の空間を味わいながら駅を抜けるとロータリーがある。そのロータリーには自然が広がっており、木々が生い茂っている。駅を出て左手には足湯がある。この足湯は昔ながらのかんじが漂っており、街の人のコミュニティの場を感じた。ここまでは逆開発の良い空気が流れている。しかし、駅を出た右手には、牛久駅同様、逆開発の空気とは少し違う綺麗なトイレがあった。逆開発とうたうのなら、和式トイレを作っても良かったのではと思ってしまった。もし、和式トイレだったら利用する人はいないだろうからきれいな現代のトイレを作ったと予測できる。下の図を見ての通り、自動販売機も設置されている。実際に足を運んだ身としては、最後に書かれていた、10年後にトリが歌ったり、チョウが舞ったり、人が集う様な空気は感じられなかった。この駅は逆開発と現代が混ざった不思議な空間である。これで余所から人が集まるのか、内から人が集まるのか、予測できない不思議な感じがした。これが現役女子大学生の正直な意見である。

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駅をあとにし、街を歩いてみると、自然が生い茂っており、市原市の市街地とは真逆の雰囲気に包まれている。そこには空き家や廃校がいくつもある。市原市の南部(加茂地区)は少子高齢化が街の問題となっている。それに伴い、空き家や廃校は市原市の重要は問題である。その問題を解決するために、その空き家や廃校をリノベーションし別の物に作り替えて街の活性に繋げている。

②廃校のリノベーション

例えば廃校を利用し、アート展を開く。(このアート展を「いちはらアート×ミックス」という https://ichihara-artmix.jp/)日本をはじめ、海外からアーティストを招き、廃校全体を美術館にしている。一度訪れたことがあるが、クオリティは想像をはるかに超すほど高いものである。どの作品も学校の教室の空間と教室にある窓から見える市原市南部の自然の風景を利用し、角度によって見え方が変わるものばかりだ。

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とてもいい事業であるが、余所者は来ることが難しいため、余所からの誘致は難しいだろうと筆者は考えた。しかし、どの作品も本当に美しいのでもっと多くの人に見てほしいなという想いもある。

また、廃校を利用し、食堂を作ったという別のリノベーション例もある。こちらで一度カレー、イカメンチ、梅ジュースなどを頂いたことがある。どれもおいしくて手が止まらず思わず完食してしまった。

これらのような廃校をリノベーションした逆開発の特徴としては廃校ならではのホラー感が味わえること(特にお手洗い)。また、学校ともあり敷地もそこそこ広いのでアート展を開くという使い方は有効的だと感じた。ただ、難点というと、アクセスが悪いため、人を誘致するとなると少し難しいともうかがえた。しかし、写真を撮る際にモノクロ撮影をすると少し味が出て面白いのではないのか。

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③里山の中のアート展

市原市南部を散策していると駅の目の前に空いた敷地や畑の真ん中に海外のアーティストが作成した作品がいくつか所々に設置されている。私は、そのうちの一つ、上総川間駅に設置されてたくさんのキャリ―ケースが敷き詰められた壁は所々あけることができ、面白い作品だ。作品自体は面白くて「映え」そうだが、周りの景観が田畑であるため、無理やり感が否めないのと、モニュメントと田畑の違和感がむず痒いと感じてしまった。

まとめ

ここまで市原市南部、加茂地区の逆開発について視察してきた。あえて人工的に田舎を里山を作り出す。そうすることで、なんだかもの懐かしさを感じることに繋がっていく。その懐かしさは人それぞれあるだろう。私のように故郷を感じる懐かしさ、またある物語を連想する懐かしさなど。それを生み出すことで人が集まるという考え方はなかなか面白みがあるなと感じた。しかし、本当にその「懐かしさ」から「住みやすさ」そして「人が集う」というようにに繋がるかといわれると、私はそうではないと思う。そこに何か新たな価値が生まれることで人がさらに集まると私は思う。これからは新たな価値を突き詰めたいと思う。現在、コロナ禍でなかなか現地調査というふうにはいかないが、コロナが終息したらすぐに市原市に行きたい。


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