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私は、1個の細胞かもしれない

最近、家の掃除をサボっていた。

汚れを、見ないふりをしてきた。

見ないと、どうなるか?

汚れまくって、大変なことになるのである。

あかん、限界や!

というわけで、私は、水回りの掃除をした。

もう、自分のために家が存在するのでなく、
家の掃除をするために、自分が存在している。

そんな気分であった。

そうか、私は、排水口の掃除をする役割を背負って、生まれてきた存在であったのか。

自分の存在価値を発見。

家という存在が、一人の人間だとすれば、私は、家の新陳代謝や循環というものが、詰まったりしないように働くという、

人間のお腹の中にいる「腸内細菌」のひとつ、

それが、私かもしれない。

腸内細菌よ、あなたには、あなたの人生(?)があるのね。仲良くしようね。よろしくね。

腸内細菌が、何をしているのか、知らないけど。

とりあえず、私は、家の排水口の掃除をします。

見たくなーい!っても、

必要やしな

やりたくないが、誰かがやらねば、

それが、仕事やしな

時々、逃げたくなるけど。

いや、おもいっきり、サボりたおしているけど。

えらい、えらい、自分、えらい

自分で自分を誉める。

そして、排水口の掃除という、仕事を、

「ぎゃああ!なにこれ、汚れすぎやろ!」

悲鳴をあげながら、掃除する、働く細胞の私。

なんか、タイトル忘れたけど、過去に細胞に捧ぐ詩を書いたような・・・内容、忘れたけど。

誰か、

「排水口の掃除をする細胞に捧ぐ」

とか、詩を書いている人(?)が、どこかにいらっしゃるような気がするのは、気のせいだろうか。

「食料品の補充をする細胞」
「日用品の補充をする細胞」
「家計管理をする細胞」

もう、自分の役割が、いくつあるのか、自分でも、わからないけど。

「note記事を読む細胞」
「note記事を書く細胞」

こういう役割も、あっていいと思うんだよね。

私は、自分のお腹の中の腸内細菌に、ちょっと話しかけてみたくなる。

本業の仕事はさ、大事だけど、
あなたの気持ちも大事だよ

というわけで、私は排水口の掃除を終えて、のんびりするのである。

部屋は散らかっている。
用事は山積みである。

それでいいのか?
と問う自分に。

これで、いいのだ!
と自信満々に答える私である。

(もう「トイレ掃除をする細胞」とかね、逃げ出したくなるけど、しゃーない、やるかーって感じ。腸内細菌も苦労してるんかなあ・・・皆、お疲れさま)

チャリーン♪ しあわせに、なーあれ(о´∀`о)