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イタリアに贈った花

もう、何年前になるだろうか。

イタリアの、ある街で地震が起こった。

私は、たぶん、新聞記事で、そのニュースを知った。

日本は、地震の多い国で、世界だって、大きな地震が起こっている国は、他にもあるわけで、

だから、なぜイタリアなのかというと、その街が、確か200年くらいの歴史のある街で、

だから、その街が、地震で被害をうけた時、現地の人が茫然自失となり、立ち上がれないほどの衝撃を受けたらしい。と、私は感じた。

手紙を書きたい。

私は思った。

手紙を書いた。
日本語で。

イタリアの人に、日本語で手紙を書いたところで、読めないよ。
被害をうけた現地の街に、日本語の手紙を送るなんて、止めようよ。

私は、お見舞いの手紙を書きたいと思って、書いたけれども、一晩経って、読み返してみると、それはポエムだった。

ポエムを送るなんて、止めようよ。

自己満足。

すごく、悩んで、結局、東京にはイタリア大使館があるはずだと思い、そちらに手紙を送った。

差出人は、ちゃんと書いた。
不審な手紙だと思われたら困るから。
お見舞いの手紙だから。

「お花を送ります」
「目に見える花は」
「ふうとうに」
「入りきらないから」
「見えない花を」
「たくさん入れて」
「送ります」

もっと、いろいろ書いたけれども、
控えをとっていないので、
正確な文面はわからない。

返事は返ってこなかった。
当たり前だ。
無名の一般人なのだから。

返事が返ってこなかったことに不満があるわけではなくて、相手がどう思ったのだろうか、という点が、わからないので、私は、もう、お見舞いの手紙を書くのは止めようと思った。

「返事は書けないけど、ありがとう」
だったら、いいけれど、

「忙しくしている時に、ポエムを送らないで」
と、思われていたら、迷惑だろう。

そんなふうに、私は考えて、
だから、災害で泣いている人は、
他にも、たくさんいるはずだけど、
もう、お見舞いの手紙は出さない。

日本語の手紙だから、
イタリアの地震で泣いている人には、
絶対に読めないはずで、

日本語の手紙だから、
東京にいる、
イタリア大使の人も、
たぶん、読めないはずで、

だから、私の手紙は、
イタリアには届かない。

けれども、私は手紙を書いた。

見えない花を、
たくさん入れて、

近所のポストに、
そっと入れた。

だから、届いているはずなのだ。

見えない花が。

イタリアに。

届いている。

誰一人、
見えないとしても、

私は、花を、
送ったから。

チャリーン♪ しあわせに、なーあれ(о´∀`о)