射手座と水瓶座は似ているか(1)──「哲学的」の意味に着目して

少し前、TLは射手座と水瓶座の見分け方で大賑わいだった。私も大いに楽しんだ。(「#雑過ぎる射手と水瓶の見分け方」タグでどうぞ)
その過程でちょっとまとまった文としてその違いを残しておきたいと思った。結論から言うと似てないんだけど、どこがどう違うのかをシンボル解釈と哲学に着目してこれから書く。
目次は以下です。今独断で決めた。公開したらリンクをつける。

1.射手座と水瓶座はなぜ似ているように見えるか(この記事だよ)
2.射手座はなぜ「哲学的」と言われるのか
3.水瓶座は「哲学的」なのか
4.違いを捉え返す──支配星のちがい

まず1。さらっとなぜ似てるように見えるかを書いておこう。

1.射手座と水瓶座はなぜ似ているように見えるか

検索してみると相性占いがよく出てくる。しかもやっぱり「似てる」ってだいたい書いてある。

まあ、ぱっと見似ているのは確かにそうかもしれない。私も射手座とは話が合いやすいし(私は太金火水瓶です)、なぜか射手座は私を大体気に入ってくれる。これは獅子にも牡羊にもないところです。一緒になにか見てきゃっきゃと面白がっています(これだなたぶん)。

まず挙げられるのは未来志向。自由を愛してて好奇心が旺盛というのも似ているという。互いを見るんじゃなくて同じ場所を見るってことができる二人なのかもしれない。そういう意味では水瓶と双子も似ているけれど、双子は象意としては「近距離」だからそこが違う。射手も水瓶も「遠距離」を管轄する。遠距離になると把握するのが当然難しいので、似ているように見える、とは思う。

じゃあ違いについてどう認識されているか、というと、知恵袋しか出てこなかった……。しかも大人になるかいつまでも子供か、という論点だった。社会人になればみんなそれなりに大人として振る舞っていると思うので(そうだよね?)、個人的には納得がいかない。というわけで今後掘り下げていくぞ!

(ちなみに余談ですが、いわゆる学問としての哲学には大まかに二種類の系統が存在しています。その一つは分析哲学と言って、一枚岩ではないのですが全体的な傾向として論理性の重視が見られます。したがって、この意味において水瓶サインと射手サインが被るというのは確かです。しかしながら、サインの組み合わせが具体的な事物によって象徴されうるというのは分析哲学に限ったことではないので注意を要します。例:双子+魚=SNS。)




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