創作活動がつらいのになぜやめないのか。
「そんなに創作活動がつらいならやめちゃえばいいじゃん」
良く聞く言葉。ごもっともです。
絵を描く気分になれなくてつらいといいながら絵を描き続ける。
音楽が思い浮かばないといいながら必死に作ろうと、あがく。
今の私なんですけど。
正直つらいときも、それなりにある。
それを人に話すと、
「やめちゃえばいい」
「休めばいい」
と返ってくる。
そうなんですよね、別にやらなくても生きていけるんですよ。
つらいならやめる、いたってシンプル。
でも不思議とその言葉に反発したい気持ちが、ふつふつ湧く。
やめたくないし、休みたくない。
これはなんだろうと考えていました。
多分ね、創作活動って、登山みたいなものなんですよ。
それで、同じ「登山が好き」にも二つのパターンがある。
ひとつは、登る過程そのものが好きなパターン。
景色を見ながら足を進めていくのがわくわくするような。
作る過程そのものが好き。
もうひとつは、山頂の景色が見たいパターン。
これは、登るのはつらいけれど、山頂から景色を見下ろした瞬間の達成感や爽快感が好き、という。
完成作品を自分で見たり、誰かに見せたりする瞬間が好き。
登る過程そのものが好きな人は、登るのを楽しめなくなったら、確かにやめればいいのです。
でも、私はそうじゃないと思う。
私はつらくても完成品が見たいし、見せたい。
山頂からの景色が見たい人は、つらいこともあるけど登りたい、という気持ちになります。
このパターンの人がつらいと言いながら自ら登山をすることは、一見いびつな形に見えますが、実は矛盾していませんよね。山頂からの景色という目的のためにつらいこともやっている。
だから、やめればいい、とはならないのです。
でも作るのがつらいのは何とかしたいところですね。
登山の例えから考えれば、体力がつけば少し楽になりそうです。
画力を上げるとか、作曲をすらすらできるようになるとか。
技術があれば、途中で、上手く描けなくて書けなくてつらいよー!となる回数は減ります。少し楽になるかもしれませんね。
そして技術があれば高い山にも挑戦できるようにもなります。
達成感もさらに大きくなるでしょう。
でもいきなり技術は上がらないもの。
それなら登る山の標高を下げて、低い山を登りながら技術を上げるといいかもしれません。
小さな作品、短時間でできる作品を積み上げていく。
落書きにちょっと彩色してみたり、短い曲やジングルを書いたり。
山に登らない時も体力づくりをするように、基礎練習をするのもいいですね。
そして、比喩ではなく体力、体調も大切です。
疲れた状態で作ると、それだけで作業能率が落ちて、つらい!となりがちです。
さらに最近思うのは、室温や空腹度も大切ですね。
やる気が出ないと思ったら単にお腹がすいていた……ということも。
寒い日に上着を一枚羽織ったら集中力が戻ってきた、など。
言語化してみたらちょっとすっきりしました。
つらいならやめたら?って、アドバイスする人の立場からしたら、ちょっと面倒くさい感じですけどね!
でもそういう、つらいのに続けたい、という感情がここにあるのも事実。
創作以外でも、あらゆる趣味や仕事でもいえることかもしれません。
登る過程が好き、と、山頂からの景色が見たい。
あなたはどちらでしょうか?
そうそう、ニコニコ動画のくじ引きで、高額な広告チケットが当たったので、過去作の「月と洗濯機」を宣伝してみました。
気が早いけれど夏の歌。洗濯機の音を録音して使っています。
まだの方ももう聴いた方も、お時間あれば聴いていってください。
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