つらいこともある

自分が資格もちで一応専門職として仕事をしていることがあり、自分がプライベートで発する言葉も「心理の人から言われた・・・」ととられることがたまにある。。私にとっては、それがたまにつらい。

プライベートの私は、はっちゃけることもある、いやにナイーブなこともある、、ので、自分という人として見られてるのではなく、プライベートの自分も、どこかで心理士さんとして見られてしまうと、しまった、と思うことがある。

なぜなら自分の中では、仕事モードでの発言は明らかにプライベートでの発言とは違うものがあって、そのスイッチの違いをとても感じているからこそきっとそう思うのだと思う。

でも、年を重ねてくると、そんな部分もいい意味で自分の持ち味として使える面も出てきたようにも思う。だから、「これは一個人としての意見ね・・」とか、「心理としてではなく、友達を思うものとしては。。」とあえて、自分の職業的アイデンティティと自分とを切り離しながら使う場面もある。相手にどれだけその思いが伝わっているかわからないけれど・・・

ある程度、都市部にいた時には、心理士である自分ってある意味隠していられた。

語らなければ、一ママとして、一個人として、消えることができる。別にそんなに聞かれない。きっとそれは、私が外国人妻として、ハーフの子どもたちを持つママとしてのアイデンティティのほうが色濃く見えたせいもあるのかもしれない。

でも、いなかに来てからは意外と隠せないものになっている。最初はすごい違和感だったけど、だんだん慣れて使えるようにもなってきた。そうすると逆にいい面もあって、領域が近い人ともつながりやすくなったり、話が発展することもある。

都市部にいた自分はどんだけ匿名だったんだろうと思う。居心地がいいけど、人としては少し薄い・・のかな。それでも今だってそういう部分を求める自分はいるけれど、ひとりの人であり、女であり、同時に職業人である自分を前より少しずつ自分の中に取り込むことができるようになってきている気もする。

心理職につきたての頃は早く年を重ねたいと思った、心理士としての自分は年を取ったほうが熟していていいものだろうと思っていた。でも、もう心理職について10年以上がたつと、特にそうとも思わずに、身の丈のところで仕事ができることをありがたく思う。背伸びをせず、出すぎず(年を重ねるとここが意外と注意点)、自分なりの仕事をしていきたいと思う。

これからも・・・

おや最近自分がおかしい、と思うところまでは・・・




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