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日常会話に潜む差別

差別はいけないことです。
人種差別や、性別の差別や、いろいろありますが、差別をなくした方がいいのです。

差別をなくすためには、ステレオタイプや一般化を避け、個人の多様性を尊重することが重要です。

そんなことはわかっていると思います。
しかし、皆さんは知らず知らずのうちの差別をしていることを知りません。

「ステレオタイプや一般化を避け、個人の多様性を尊重すること」
つまり決めつけちゃいけないよってことです。
それは、良いこともそうだということです。

「黒人は身体能力がありそう」
これも差別です。
けなしているわけではありません。良い意味で言ってます。
しかし、黒人への決め付けです。

よくスポーツの国際大会で目にします。
「日本人はゴミを持ち帰る」
これも差別的発言です。
ゴミを持ち帰らない日本人は5万といます。

「A型は几帳面だ」
もちろん差別的発言です。
むしろこれは、ブラハラ(ブラッドタイプハラスメント)と呼ばれ、差別的な行為と見なされます。
これは、血液型による性格判断が科学的根拠に欠け、個人に対する不当なレッテル貼りにつながるためです。

こうなると何も言えないじゃないかとなります。
しかし同じような感じで差別的発言にならないものもあります。

「スイスは中立国だ」

これは、スイスが国際法に基づいて永世中立国として認められている事実を述べているに過ぎません。
このような発言は、スイスの政治的な立場を説明しているだけであり、差別的な意図や内容を含んでいるわけではありません。

しかしです。
スイス人はみんな中立かと言われれば、僕は違うと思います。
なのでもし言うのであれば…。

「スイスは中立国だ(スイス国民はそうでない人もいる)」

このような配慮が必要だと考えます。
要するに「※この後スタッフでおいしくいただきました」みたいなものです。
より多様性の時代になっているので、一般化の決め付けは避けた方がいいのです。

「大阪人はしゃべればみんな漫才師」
もちろん、差別的発言です。
大阪人でも面白くない人もいます。
それよりも、コント師の存在を忘れるな。
お笑い=漫才だけだと思うなよということです。

しかし、良いことも差別になるということで、ではどうすればいいのか?

括らないことです。
個人にすることです。

「ナバーロは身体能力ありそう」
「吉田利光はゴミを持ち帰る」
「清水さきは几帳面だ」
「バーレスは中立人だ」
「魚屋のげんさんと、八百屋のかんさんがしゃべればコメディアン」

こうすれば差別はなくなるでしょう。


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