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目が肥えることは不幸なのか? リンゴとお笑いの事例から考える

目が肥えるって不幸じゃないかと考え始めてきました。

目が肥えるとは、物の価値を見分ける力がつくという意味です。
例えば、美術品や料理などの分野で、よいものを見慣れて、その良し悪しを判断できるようになることを言います。
この表現は、「目」が物の価値を見抜くことを、「肥える」が経験によって能力が備わることを意味しています。

いい意味のような気がしますが、果たしてそうでしょうか?

僕はお笑いのネタをいっぱい見てきました。
目が肥えています。
なので、面白いと思ってもそれを見て笑うということはほぼないです。
それは目が肥えたからです。
面白いと思っても笑わないのです。
これって不幸ではないでしょうか?
目が肥えていなければ、もっと何でも笑えるのです。

僕は長野県出身です。
リンゴの生産量は青森に次いで2位です。
なので小さい頃から散々リンゴは食べてきました。
もうあまり好きではありません。

東京に来て誰かが「おいしい、おいしい」と言ってリンゴを食べていまいた。
僕は少しもらいました。
全然おいしくないのです。
これは嫌いだからではありません。
リンゴが良いリンゴではないのです。

長野県だけかもしれませんが、『リンゴがボケてる』という表現をします。
これは何と説明したらいいか難しいですが、リンゴのシャキ感とか、何かぼやけている味と言いますか、とにかくおいしくないリンゴということです。
これは食べればわかるのです。
そんな言葉があるくらい、長野県民はリンゴには目が肥えているということでしょう。

普通の人はこれをおいしいと言っちゃうのか思いました。
僕はビックリしました。
でもどうですか?
目が肥えていないから、あのボケたリンゴでもおいしいと思えるのです。
これは目が肥えていることは不幸じゃないですか?
僕がおいしいと思えるリンゴは恐らく高いです。
高いリンゴを食べないとおいしいと思えないって経済的にも不幸じゃないですか?
安いリンゴ食べておいしいと思える方が絶対幸せだと思うのですが。
例えば、その浮いたお金を安いワインを買っておいしいと思えたら最高じゃないですか?
この条件は、目が肥えてないことです。

目が肥えるメリットって何でしょうか?

  • 例えば、鑑識力が増すと、美術品や料理などの芸術的な分野において、より深く楽しむことができます。これは、感性や知識を豊かにすることにつながります。

しかしこれは、目が肥えていなければ、何を見ても感動できるわけで。楽しむことができます。別に感性が損なわれることはないと考えます。

  • 例えば、目が肥えると、自分の作品や仕事においても、より高い水準を目指すことができます。これは、スキルやクオリティを向上させることにつながります。

しかしこれは、目が肥えている人が判断するにはいいと思いますが、目の肥えていない人にはそんなクオリティはいらないのです。そこまでなくても満足してくれるのです。

スキルやクオリティを上げるのは目の肥えた人たちのためにです。
しかし、今まで言ってきたように目が肥えることは不幸なのです。
なので、不幸なことをなぜしなくてはいけないのでしょうか?

よって、目が肥えるメリットはないのです。
じゃあやっぱり目は肥えなくていいということです。

しかしながら、僕のリンゴのように、勝手に目が肥えてしまうのがほとんどです。
だから、目が肥えることは不幸ですが、それを避けるには幸せを感じないようにしなければなりません。
リンゴを食べ続けると、最初はおいしかったリンゴが、もっとおいしいリンゴを食べることによって、最初のリンゴがおいしくなくなります。

結局、目が肥えない方が幸せだけど、その幸せを続けると、目が肥えてしまうということです。
なんというジレンマでしょうか。


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