ノマドワーカーはスタイルじゃない、贅沢だ
久しぶりにノマドワーカーをやってみて、気づいた。ノマドワーカーはスタイルじゃなくて、贅沢だ、と。
ノマドワークした1日
朝バスに乗る。降りたバス停から15分歩いてコメダ珈琲店に入店。モーニングを注文し、小倉あんがたっぷり塗られたトーストを口に入れる。コーヒーをがぶ飲みしながら、1時間ほど仕事。その後再び15分歩き、北の温泉たまゆらに。1時間ほど温泉に入る。それから歩いて20分の場所にある店でラーメンを食べる。また20分歩いたところにあるドトールで1時間ほど仕事。充実感と達成感に満ちたノマドワーカーな1日だった。
しかしふと気づいた。ノマドワーカーをやれていることは贅沢なんだと。 ノマドワーカーをするには3つの自由が必要なんだと。
1.場所の自由
1つ目は働く場所の自由。例えば駅員や運転手、工事現場作業員は決まった場所で働く必要がある。働く場所の自由はない。僕のような基本的にどこでも働けるIT系は非常に恵まれている。
2.仕事の自由
2つ目は仕事の自由。僕はIT系だが、基本的に仕事をするのは在宅。家では複数のモニター環境で仕事をする。動画編集をしたり、一つの画面にWebサイトを表示し、もう一つの画面にエディタでプログラムを書く…など。何かしらモニタは複数あったほうが効率が良くなる。
逆に文章だけを書く仕事の場合、気が散らないため、シングルモニタのほうが結果的に生産性が高くなる。ノートパソコンで仕事を完結できる自由がある場合は、こうして外で仕事することができる。
3.時間の自由
3つ目は時間の自由。この日は1時間ほど温泉に入り、場所間の移動中、連絡が取れなくなっていた。それでも問題ない。なぜなら僕は今、顧客からの連絡に対して、即座に対応が必要な仕事は抱えていないからだ。何かがあっても次の日の対応で大丈夫なことが多い。顧客からの要望に対して即座に応えないといけない仕事の場合、ノマドワーカーは難しい。余裕という自由があるのは贅沢なことだ。
以上のような、少なくとも3つの自由がないと、ノマドワーカーはできない。
ノマドワークは長い時間働くことが難しい
一方、このノマドワークを毎日のスタイルにすることは非常に難しい。充実感に満ちた今日、仕事した時間は2時間ほどしかなかった。
ノマドワークで一般的な労働時間である8時間仕事をすることは非常に難しい。一つのカフェで仕事できるのは長くて2時間ぐらい。単純計算で8時間仕事するには4つのカフェに行く必要がある。それは無理ではないが、毎日そのように過ごすのは難しい(コワーキングスペースやシェアオフィスに通ってる人は可能だと思う)。
3つの自由があってこそのノマドワーク
3つの自由があってこそ、ノマドワークが可能になる。3つの自由がある人は恵まれている。僕は常に3つの自由があるわけではないが、たまにこういう日を作ることができる。ノマドワークができるということは、非常に贅沢なことなんだと思う。ノマドワークできることに感謝する気持ちが芽生えた1日を過ごした。
微かに、非常に微かに、春の訪れの気配を感じる雪景色の札幌。小沢健二の「春にして君を想う」を聴いて冬の終わりを待ちながら。
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