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時給600円の夏と人生の選択肢

果物の中では、桃が一番好きだ。

ちょうどいい甘さとたっぷり含まれた果汁、うっとりする香り。
グラデーションのかかった淡いピンク色の外見もかわいい。
福島で生まれ育った私にとって、桃は幼い頃から身近にある果物だった。ただ、10代の頃のある夏、桃が食べられなくなった時期があった。


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私が通っていた高校では、2年生の秋に修学旅行がある。家が貧しかった私は、この修学旅行で使うお小遣いを稼ぐために、夏休みにアルバイトをすることにした。
バイトをするのは初めてだったけれど、友人に誘われて桃の缶詰工場で働くことになった。時給は600円。当時の福島ではほぼ最低時給だったのではないかと思う。

私が主に担当したのは、機械が切りやすいように、桃の方向を揃える仕事だった。「缶詰の桃」といえば、ツルッとしてきれいな表面が思い浮かぶ。作る時に、桃の割れ目に沿って2つに割って切っているからああなる。2つに割るのは機械の仕事で、私はその機械がちゃんと割れ目にナイフを入れられるように桃の向きを延々とそろえる役割を担っていた。

工場はほぼ外と中が繋がっているような作りで、さらに雨合羽のような防水の制服を着ているので暑い。お昼の休憩以外は基本的に朝から夕方まで立ちっぱなしだ。

桃は皮をむきやすくするために一度蒸気で加熱される。工場はいつも、ゆだった桃の独特の匂いで満ちていた。ふだんかいでいる桃の新鮮な香りとは別物の、くたびれたような匂いだった。

「もう1時間は経ったかな……」と思って時計を見ると、10分しか過ぎていない。高校2年生の夏という貴重な時間は、そんな形で毎日消えていった。

マスクをしていて顔が分からないということもあり、ほとんど他のアルバイトとは交流がない。しかし、一人だけ私がいまも覚えている同僚がいる。年の頃60歳くらいのおじさんだ。顔はもう覚えていないけど、痩せて、こじんまりした感じの人だった。

なぜこのおじさんを覚えているかというと、彼が「痴漢」だったから。作業している私の後ろを通る時に、さりげなくお尻を触ってくる。最初は偶然だと思っていたけれど、何度も繰り返されるうちに故意だと気がついた。いままでにもこういった形の痴漢は経験したことがあったので、ああまたか、と思った。

いまの私だったら「やめてください」とはっきり言えるのだろうけど、当然のことながら、17歳の私には何歳も年上のおじさんにそんなことは言えなかった。
恐怖や嫌悪感がぐるぐる渦巻く頭は、単純作業からくる疲労で諦めに包まれていて、なおさら私を無抵抗にしていた。

1つだけ、いまの私だったら感じないであろう1つの感情も芽生えていた。
それは、おじさんに対する同情だった。
私もおじさんも、機械でもやらないような単純な作業に一日を費やし、少しのお金をもらう、同じ「階層」に属する労働者だと感じていた。ただ同時に、私とおじさんの間に横たわる決定的な違いも理解していた。それは「未来に対する希望」だった。

客観的に見たら、地方の貧しい母子家庭で育つ高校生でしかない当時の私。大学に進学するクラスメートたちが塾の夏期講習に行ったりする中で、アルバイトに精を出している。ただ、根拠はないしけれど、私にはこれからの人生を自分の力で変えられるという微かな確信があった。具体的な道筋は見えないけれど、これから大学に行くことができるかもしれないし、憧れの東京にだって行けるかもしれない。

でもこのおじさんにはそういった希望がなさそうに思えた。私にとっては人生のスタート地点での一時的な寄り道であるこの缶詰工場は、おじさんにとって人生の終着点であり、逃げられない日常だったのではないだろうか。

いまなら、どんな環境にあっても、子どもに対する痴漢や性犯罪は許されないことだと分かる。でも、この環境から「いち抜けた」をしようとしている自分は、なんとなくおじさんに対する後ろめたさを感じていたのだった。

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最近、橘玲さんの「上級国民/下級国民」という本を読んだ。この本で紹介されているSSP(階層と社会意識全国調査)という大規模な社会調査では、日本人を男女、年齢、学歴で8つにカテゴライズし、それぞれの幸福度を比較している。

8つのグループの中で一番幸福度が低いは、「男性・壮年・非大卒」だという。幸福度の内訳である生活満足度や主観的自由の度合いなどの全ての項目がとても低く、本書ではこのグループを「『ほとんどポジティブなもののない』ひとたち」と表現していた。確かめた訳ではないけれど、おそらくあのおじさんはこのグループに属する。


明日もその次の日も、同じような退屈な日常が続いていくという感覚は、人の心を蝕む。それどころか、少しずつ体力は衰え、仕事の口も減っていき、人生の選択肢が目に見えて少なくなっていくとしたら、どう感じるだろうか。そんな静かな絶望をひととき忘れさせてくれるものが、ある人にとってはギャンブルかもしれないし、ネットで誹謗中傷をすることかもしれないし、職場で女子高生に触ることなのかもしれない。


私はその後、あの時の根拠のない確信にひっぱられるようにして東京の大学に進学し、奨学金を得て無事卒業もできた。その後、東京だけではなく海外に住んだりもしながら、裕福とは言えないまでも夫と息子と穏やかに暮らしている。


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私があの夏、桃が嫌いになったのは、この工場に蔓延する茹でた桃の匂いが原因だと思っていた。しかし、いま思い返してみると、このバイトで出会ったあのおじさんのことも影響していたような気がする。

都心のスーパーマーケットできれいに並んだ1個300円の完璧な桃に目にすると思い出す。あの夏の缶詰工場での単調な日々と、哀しい疲労感を。


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