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感情と向き合う〜day20〜

第2チャクラワークもラスト2日。
今日は久しぶりに朝から仕事で出かける。
心の波を落ち着けて、無事に終わらせるんだ、と意図して、月礼拝をする。
大丈夫、大丈夫、と唱えて出かけた。

どんな感情もそのまま受け止める


仕事の現場へ向かう車の中で、今日は仕事には行けるのに、やりたい活動の場所へは行けなくなってしまったことが悲しくなって泣く。いやいや、今はそうじゃない。安全に運転して現場に行って、仕事をするんだ。そんなふうに整えながら進む。
到着してからも、久しぶりの仕事でギクシャクしてしまったので、一緒に組む方にこっそりと現状を伝えた。それでホッとした。無理しないで、と気遣ってもらって、少し安心してそこにいられた。それでもまた、前みたいにがんばれてないことや、ちょっと通訳をしようとした時に「もっとわかりやすく」「これじゃ通じない」そんな責める声が聞こえてきて苦しくなる。
大丈夫、大丈夫。
またつぶやいて、呼吸して整える。
感情が湧いてくることを否定せず、そうなんだな、と寄り添ってあげる。

隠していた弱いわたしとの再会


感情の波を感じながら過ごしていると、過去の記憶が蘇ってくる。昔の自分と再会しているみたい。
一人で、ぼんやりテレビを見たり、詩を書いたり、絵を描いたりしているのは好きだったけど、そんなことしてても意味がないとか、大人になったらもっと役に立つことをしなければいけないから、ぼんやりしてる時間は無駄なのだと思ってきた。
人の些細な発言が気になったり、いじめとか意地悪とか気づいてドキドキしても、平気なふりをした。いろいろ感じすぎて、考えすぎて、もう嫌だと思ったりしても「考えすぎよ」「人が良すぎるよ」「もっと厚かましくやりなよ」それが生きていく術だと思い込んでがんばっていた。やればできる、って、生き残るためには弱くちゃダメなんだ、って思っていた。

母のこと


母は日ごろは明るかったけど、たぶん本当は弱くて、大人なのに泣くし、混乱するとヒステリックになったりするのが見ていて嫌だった。父がそんな母を嫌がっていたことも影響していると思うけど、わたしは母とは違うと固く思っていた。そして、母を助けたい、味方にならなきゃとも思っていた。
母が亡くなってからずっと見ないようにしていた悲しみがあった。だけど、自分は強く生きていかなきゃという思いが、その悲しみや自分の弱さを隠す方へ向いていたかもしれない。
心のことも学んで、乗り越え方もわかってきて、生きるのが楽しくなってきて、明るくなった。
心の学びをしていた頃にすごく前向きに明るくなったことをSNSで発信していたら「弱くて優しくてもいいんだよ」みたいに言われて「うるさい!」って反応したことがある。そのくらい必死で、弱い部分を見せないように見ないようにしていたんだと思う。明るいまま、ずっと行けると思ってた

「弱いわたし」を見てあげる


でも、弱いわたしはずっとわたしの中にいて、見つけて欲しがっていたのかもしれない。前だったら「どうやって乗り越えるか」ばかり考えていたけど、今はやっとその「弱いわたし」を見てあげられている感覚がある。

弱いわたしが言う。
もっとゆっくりしていたいよ。
一つ一つ感じたいよ。
たくさんのこといっぺんに処理できないよ。
たくさんの人といると疲れちゃうんだよ。
立ち止まる時間がほしいよ。
あちこち行くと疲れるよ。

その言葉に、反応するわたしがいる。
弱いなぁ。もっとがんばればいいのに。

でも今は、
そこで思いとどまる。

いや、もうがんばらなくていいよ。
弱いまんまでいいよ。
もう無理に励まさないよ。
ぼんやりしてていいよ。

そう言うと、弱いわたしは
うれしいよって
泣いたりする。

強くならなきゃ生きていけないって思っていた。
この弱いわたしのまんまで生きてっていいってことが、まだ信じられないけど、もしそうできるなら幸せだなって感じている。

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イラストはみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

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