見出し画像

感情と向き合う〜day18〜

ちょっと間が空きましたが、月礼拝は毎日やっています。昨日、17日目は今回のワークの中の大転換点だったような気がします。

出かけてみた


久しぶりに出かけて集団の中で動いてみたら、まだやっぱりきつくて、叫びそうになったり泣きたくなったりしたので早々に帰ってきた。まだダメだ。LINEに返事ができなかったり、心配させてるのもわかるから説明したいけど、相手を責めたくなる気持ちも同時に湧いてきて混乱してしまう。こんなわたしでは、今までのような手話通訳や活動ができなくなると思って悲しい。もう気持ちぐちゃぐちゃでした。

ヨガ集中講座Ⅱ


ヨガの深い感じの講座を月一回受けている。チャクラワークの講座を知ったのもここからのスタートだった。
アーサナ(ヨガのポーズ)のみならず、参加者のシェアや聖典を学ぶ時間もあり、気づけばわたしのベースになった。
今日のシェアの中で、最近の様子を伝えていたらまた悲しくなって泣いたりして、終わってからティーチャーに話を聞いてもらった。
その中でいただいたいくつかの言葉と、それによる気づきで行動が少し変わった。

変わったこと


説明できなかった気持ちを文章にして伝えてみよう、という気持ちになった。今自分が動けていないことを完全に認めて、そのことだけを伝えようと思った。怒られるかもしれない、誤解されるかもしれない、そんな気持ちも超えて、やってみようと思いメールした。
そしたら、無理しなくていいという返事とともに話せませんか?と言われて、後日オンラインで話すことに。できそうな気がした。無理せず本当にお互いの都合が合う日に話すことになって、なんだかとてもホッとした。
それから、気になっていた本や資料を片付けて、処分するものを整理し始めた。大掃除はこの春分までにやるといいタイミングなのだそう。

何に気づいたか

応諾は「良いも悪いも同じように受け入れる」という意味だが、体調が悪いことや心が弱い(繊細)を受け入れたら、ゼロ地点に戻ったような感じ。今まで軸足は「良い」にあったから、「良い」から外れると全部がマイナスだった。だけど「良い」も「悪い」も「ある」「あっていい」とすると、「良い」側の目盛りも「悪い」側の目盛りも、ただの尺度や指標なのだと腑に落ちた。
「繊細」についても、あらためてティーチャーに言われたことで、今まで「それほど繊細じゃない」「意外とタフだから大丈夫」と自分を決めつけていたことに気づいた。けれど「繊細」を認めたら、なぜか相手の気持ちがわかり反射的に相手の思いを汲み取った行動をしてしまうことで、相手には喜ばれるけど自分を傷つけることもあった(たくさん)ことに気づいた。

まとまりませんが、今日はこのへんで。
*******
(写真)近所の八幡神社へ遅ればせながら、昨年のお札をお返しに行きました。


よろしければサポートいただけましたらうれしいです。アカシックリーディング、ヨガ、わたしの体験してきたことをお伝えして、ありのままの自分で生きるお手伝いをしていきたいです。