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舞台から落ちて骨折入院しても最高のことが起こってる(終)

ずいぶんとお久しぶりになりましたが、2022年に入ってからの日記は載せずにこのシリーズを終えることにした。書くのが変化に追いつけなくなったから。後追いで書くのも追いつかなくなって、ダラダラ続けるのも飽きてきて。
3月1日現在のわたしはといえばリハビリも通院も終わり(最後のレントゲン写真、骨がしっかりくっついて骨が盛り上がるように育っていた!)、退職し、ほぼ毎日歩いて、ほぼ毎日グラウンディングしている。猫と遊んで(なんなら猫みたいになってる)、あれこれと参加していた集まりは会場の都合などで長期のお休み中になっていて、そのおかげか自分の心地よいペースがわかってきた。きっと集まりが再開しても参加の仕方が変わるだろうなと思う。3月からの暮らし方、働き方は予測がつかないことも多いけどなんだかワクワクしている。
というわけで、2月中くらいまで日記は書いていたからいつかどこかでまとめることがあるかもしれないけど、とりあえずこのシリーズは一旦終わろうと思いました。
タイトル通りに「最高のことが起こってる」は継続中で、今体感している「最高のこと」を書いてみます。
【体のこと】
骨盤骨折だったから、第一、第二チャクラ、つまり体の中ではエネルギーの土台と中心となる位置が傷ついてしまったというのはかなりの衝撃だった。でもそのおかげで、死んでいたかもしれないと体感したから「無になる」感覚がわかった気がする。それから、骨盤が傷つき治る過程でこんなに不安定になるんだって感じた。あと、骨盤の位置がはっきりわかったから他の骨も体感が増した、など、日々その恩恵を感じている。それは今のわたしの生活の中心となっているくらい。
例えば、レントゲンで自分の骨盤の画像を見たから、毎日のグラウンディングで骨盤と丹田を意識する時に「ここが骨盤」という感覚がはっきりした。さらに「骨」全体のつながりを感じるようになったので肋骨や肩甲骨、脛骨や背骨を意識するときもそこを触っているような感覚があってグラウンディングがとてもしやすい。
【生活のこと】
入院中の10日間の病院食でかなりのデトックスができた気がしている。大好きなコーヒーやパン、菓子などは食せなかったが(売店にも車椅子で連れてってもらわないと行けなかったし、そうする気力もなかった)、不思議と不足感はなく、3食決められた時間にバランスの良いご飯とおかずを食べていた。最初は量が多すぎる…….と思ったけど、体が整う感覚もあった。(ご飯の量だけは途中から減らしてもらった)。寝てばかりでもお腹は空いた。食べた。眠った。まるで赤ちゃんのように、育つ(治る)ことだけをやっていた。
考えてみれば、わたしは断食合宿やヨガのリトリートなど何度か受けていて、その度に体がリニューアルする感覚があった。今回の入院もその一つだと思えば必然だったかのかもしれないなぁと思えてくる。

【生きるということ】
舞台から落ちた時の映像は記録動画残っているのだけれど、トラウマなのか?届いてからしばらくは見ることができなかった。時間をおいてから見た時に、あーこんなふうにサラッと落ちてたんだな。で、サラッと落ちたように見えるこの瞬間「死んでたかも」なんだ。うわーーーと思った。
そしたら「今」に集中する意味とか体感がわかってきた。余命◯年、とか死ぬまでになんとか、みたいな映画はよくある。普段、人は自分が死なない前提で生きてるからその話を見て「あーそんな状況だったらもっと真剣に何するか考えるわ。いや、今から考えよう」みたいに思うのだろうけど、今回「本当にある日突然死ぬこともあるんや」と理屈抜きでわかった。母が亡くなった時にもうわかっているつもりだったけど、もっと深いところで体感した。
だから、できることやりたいこと全部やろうと思うし、見たい景色を見て感謝して大切な人の幸せ願って生きたいし生きるわ、って自分の中で確定した。
もともとわたしは難しいこととかややこしい問題を見つけて対処するのが好きなマニア的なところがあると思ってた。でもそれって本当にやりたいことを横に置いてごまかすためだったのかもしれないと思う。「わたしのやりたいことはこれです!」って言うのは怖い。失敗したら恥ずかしいし、責任取りたくないし、命令に従って生きるのはある意味、楽。そうやって生きたっていい。(これは職種の問題ではなく、どういうスタンスで働いているかっていうことです)
で、「本当のとこどうなの?」って自分に聞くと「問題と戦っても望む勝利は得られないとわかったし、そもそも勝ち負けじゃないとわかった。それに、変えられない周りに文句言い続けるのはもう飽きた」というのが答えだった。
そんなふうに「本当はどうしたいの?」って自分に聞き続けたらちゃんと答えに辿り着くし、やることもわかる。そしたら後はやるだけ。やってるうちに、どこかに壁やストッパーが出てきたら対処したらいいだけ。シンプル。(わかってるけどできない、にハマることがあってもいいし、きっとある笑)

【目に見えない世界・スピリチュアル】
わたしがここまで生きてくる中で、目に見えない世界とのつながりはとても大切だった。小さい頃から感じてきたけど、人にはあまり言わなかった。それから母の死や、スピリチュアルな世界のティーチャーとの出会いがあって、グッとその世界に惹きつけられたけど、どうしても自分自身が信じきれなかったり、それを周りに受け入れてもらえない怖さから、何度も行ったり来たりした。わたしがグズグズとそうしている間にも世界は変化し続けて、もう目に見えないことやスピリチュアルはある意味当たり前のように近くにある。「そうだよ」と共感し合ったりつながりを感じる人もたくさんいる。
入院中に遠隔直伝靈氣を受けてとても助けられたことや、緩やかに続けている冷えとりもそうだし、随分前からプリミ恥部さんの宇宙マッサージを遠隔で受けていて、わたしの中では必須なものと確信しているのに、なぜか怖がって逃げていた。今さらながら、かもしれないけれど、何も隠さずに自分のままで生きたい、と改めて思った。
「わたしにそんな力はない」と逃げてきたけど、その力は、本当はみんな持っている。わたしがわたしを開くことで必要な人に届けばいいと思うし、それがわたしのやりたいこと。うん、そんな感じです。それこそが生きている意味だと思ったら「生きたい」って思えました。
(終)
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ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。療養期間中、ここに書いて表現して読んでもらえることに支えられていました。

よろしければサポートいただけましたらうれしいです。アカシックリーディング、ヨガ、わたしの体験してきたことをお伝えして、ありのままの自分で生きるお手伝いをしていきたいです。