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先生、大学生くらいになったらわかるよと言っていましたが、本当にわかりました。だから、また会いましょう。

学校で得られることは山ほどある。生きるために基本的に必要な知識を得る場所でもあるし、それを国家試験をくぐり抜けた教えるエキスパートたちが寄り添ってくれるのだからいいところももちろんある。集団生活も経験することができるし、何より社会を知ることができる。しかし、子供だけの世界は特殊で、たまに耐えきれない人たちもいると思う。

私は耐えきれない子供だった。

はたから見たら、なんだかませてる子ね、と思われていたかもしれないが、当の本人は、なかなか馴染めない子供世界に混乱していた。今でも子供が子供だけの世界に馴染むのは変な気がしているし、馴染めないなら馴染まなくていいと思う。
私が通っていた中学では、同学年のクラス間は行き来が自由だったが、学年が違う生徒は階ごとに分けられており、何か用事がなければ行き来することはできなかった。
そうすると、いつの間にか「同学年」という共通意識がみんなの中に生まれていて、その中でなぜかカーストのようなものが生まれる。スポーツや勉強ができる子たちは上の方にいて、中間層がかなり大多数。下層の方に話すのが苦手な子や容姿の違いが目立つ子(人種というわけではない)が位置していた。

それとは別にどの層にも属していない子もいた。周りを見ているというより、学校外にコミュニティーや心の拠り所があって、そこで一喜一憂しているので同級生からも少し違う目で見られ、その人たち自身も周りの目は気にしていなかった。
私は、学年の中では勉強が好きで、成績も良かったが、自分をカーストの中に位置づけすることができなかった。それに、当時の私は学校のことで悩むというよりは、家族の悩みが大きかったような気がするのであまり気にしていなかったというのもあるかもしれない。私は、どの層にも属さない子たちを目指していた。そういう子たちはみんな保健室にたむろしていて、保健室はいわば学年関係なく話をできる場所だったような気がする。体や心に不安がある子供達が休み時間になるといつも集まっていた。

私もその頃から精神的に調子がおかしくなり始めたので保健室に通い始めた。家で眠れず、2時間目から5時間目までずっと寝たときもあった。ほとんどの睡眠を学校でしていた時期があったと思う。精神的にぐちゃぐちゃで何も見えなかった。学校で何が起こっているか全く把握できなかった。カーストの中に入れない子を演じていた私は、喜んで保健室グループに迎え入れてもらえたと記憶している。みんなそれなりにこじらせていたと思うのに、なぜか私だけ本気で心配され、どんどんグレていく彼らは私を巻き込まずに、逆に悪い方向性から守ってくれた。どうして私だけだったのか、わからない。今となってはありがとうと心から思うが、当時は仲間がいないと思っていた。孤独だった。

そんな時に出会ったのが、T先生だ。私は英語の成績が悪く、塾に通っていた。T先生は社会の先生だったと思う。塾一厳しい先生だけど、面白くてかっこよかった。好きだった。

いつも自転車で塾に通っていたのだが、帰りの時間は22:00頃なので、帰りの駐輪場にはいつもT先生が生徒みんなを見送っていた。
精神的な乱れが学業にも見え始めると、私が家に帰る時間も遅くなった。最後の1人になるときもあった。最後の1人までT先生は駐輪場で待っていた。
夜の駐輪場で、何もかもに絶望してうなだれた疲れた私。そんな私を見つけてはT先生は「何落ち込んでんの」とドライなトーンで声をかけて来る。家族のことで悩んでいるという話をすると、いつも何かしらのアドバイスやくだらない話、先生自身の話をして気を紛らわせてくれた。
私はその時間が大好きになった。先生と話すために遅くまで残っていることもあった。何を話したかと言われれば、ほとんど思い出せない。しかし、塾の帰りのあのほんのの数十分が、絶望に苦しんでいた私の唯一の楽しみだった。彼がいるから明日も生きて、塾に行こうと本気で思っていた。

ある時、なぜかわからないけれど、先生が先生自身の悩みの話をしてくれたことがあった。先生も学生時代に家族のことについて悩んでいたのだという。壮絶だった。私には考えもつかないようなことを先生はしていて、私は言葉が出なかった。先生の覚悟と悩みの深さに先生の深淵を見てしまったような…。私は先生と生徒と言う関係性ではなく、人間として向かい合ったのだ。

目の前にいるのは、悩みに打ちひしがれてくたくたに疲れた男で、私は…。私は…。私は、どうすれば良かったのだろう。長い間私は彼を見つめていた。惨めなはずな彼から目が離せない。彼は、赤い目で遠くを見ていた。目は、合わなかった。

「俺たち似てるのかもね」
「えっ?」
「俺は結果的に自分を殺さずに、運良くここまで来た。今は苦しいと思うけどね。」
「どうしたら苦しくなくなりますか?」
「大学生くらいになったらわかるよ。じゃ、また次の授業で。」

そう言って私たちは別れた。数えるほどしかない星を見ながら自転車をゆる〜くこぎながら、家に帰った。不思議と、その日はよく眠れた。

あれから、私も私を殺さずにここまできた。大学生になって、確かに苦しくなくなった。先生の言うとおりだ。あの時コミュニティーの属さず、孤独だったのにも納得がいくし、今ではすべてを肯定できる。絶望もしない。
今でも先生が夢に出てくることがある。どうしてあの時、私にあの話をしてくれたのか。あんなにも絶望の話しかしなかった私に、それ以上に絶望する話をするT先生はどんな気持ちだったのだろう。聞きたいことはたくさんだ。言いたいこともたくさんだ。

もしまた会えたら、どんな話をしよう?どこから話そう?
あの夜の駐輪場の風と湿った空気の重さ、中学生の私、先生。楽しかったね。何を思ってる?

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