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どうせなら最新の自分でいたい。

過去の自分の行いへの反省や、これからなりたい自分の理想など、目に見えないものはよく見えるのに、現在の自分がどうであるか何を考えているかはぼやっとしていることが多い。現在の自分を定義するために、過去や未来の自分を具体的に明確にするのかもしれない。

「まだ」自分はこうしているということに劣等感を覚えたり「もう」こうなった自分に達成感を覚えたり。過去や未来の自分と現在の自分を比べることで今自分がどこにいるかを再確認して方向性を決めている。でも、その「まだ」や「もう」はどこから来ているのか?

自分が思うに、ずばり他人から来ていると思う。家族や友達からの期待、そして社会的な"規範的な"ライフステージが無意識のうちに自分のプランに組み込まれている。それに沿って動いていないと「まだ…」と思う。逆に振り返って、それ通りに動くことができていれば「もう…」と思う。

"規範的"と引用符を用いて書いたのはこれは社会の大きな流れというだけだからだ。それが普通というわけではない。マジョリティーの人たちが価値を感じ、それに沿って人生を組み立てているということだ。そういう社会的価値観は時に個人の人生に目的を与え、時間制限を設けてくれるので生活にメリハリがついたりする。しかし、それと同時に他者への優越、焦りや後悔、劣等感も生み出す。無意識のうちに他者と比べて現在の自分が見えなくなるのだ。

今日の朝、ふと「もうやまだを使うのはやめよう」と思った。過ぎ去ったものに達成感を感じ、次に進めればいいのだが、それに思い上がってなかなか次のステージに来ている自分に気づけない時がある。また、過去の自分への反省や後悔に現在の自分が苛まれることもある。未来の自分を思い描くことも、自分の世界を広げてくれるかもしれないが、時に自分の可能性を狭めているかもしれない。こうならなければいけない、そこに到達していないと思うことで今現在の自分に自信が持てなかったり、その自信のなさからボロボロに擦り減っていく自分に気がつけないこともある。

目標を立てたりや反省をすることは悪いことじゃない。でも、その目標・反省に縛られることはとても窮屈だなあと思ったのだ。毎日少しずつ、たまに大きく自分は変わっていく。そうやってどんどん前に進んでいく今現在の自分にとって1日前は大昔になる時もある。1時間前ですら、違う世界線のことであったように思うことがある。

どうせなら、いつも最新の自分でいたい。

だから、「もう」「まだ」〜だから、こうしなきゃよかった、こうじゃなきゃダメだ、こうするべきだと思うのをやめてみようと思う。現在の自分の感性に耳を澄ませ、何してみたい?どうしたい?と自分自身に対話するように今現在を創っていきたい。

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