「受け入れること」
病気を受け入れること。
病気の家族を支えること。
これまで看護師として数多くのそういった方々と関わってきました。
ご家族のサポートもたくさんしてきました。
でも、いざ、自分の身に起きると
こうも何もできないものなのか。
結局のところその体験をしなければ、その人の感情なんてそう分からない。
私はこれまで本当に看護師として患者さんやご家族のサポートが出来ていたんだろうか。
その当時の自分としては精一杯やってきたけれど、でも本当の意味で相手の気持ちなんてこれっぽっちも分かっていなかった。
今になってようやく本当に「受け入れること」とは
何かわかった気がします。
一度受け入れたつもりでも。
また振り出しに戻ってしまうこともある。
涙が止まらない日だってある。
人はね、生きていくために、辛いこと悲しいこと苦しいことは忘れて、
よかった記憶が強く残るように脳が作られているんです。
(これが崩れてしまうと、逆になることもあります)
この現実をいくら受け入れようとしても、どうしても病気になる前の姿が今でも頭をよぎります。
母はうつ病により、次第にいろんなことが出来なくなって、考えられなくって。今では正反対と言っても過言ではないくらい人格は変わってしまいました。
受け入れたつもりでも、やっぱりよくなってほしいから。諦めきれないから・・・
そんな思いで、病気になる前の元々の母の姿が頭からなかなか離れないんです。
私はこれまでたくさんたくさん母を困らせて、迷惑かけて、悩ませて。
本当に親不孝な娘だったとつくづく思います。
でも結局どうしようもなくなった時は親を頼るしかなくて。
泣きながら連絡した日。当時一人暮らしのマンションに、片道2時間の距離を駆けつけてくれた時がありました。
母は、そんな時口では散々言っていましたが、決して私を見捨てませんでした。どんな時だって、絶対一番の見方でいてくれました。
「親は子供に迷惑かけられるのは嬉しいことなんよ」
そう言ってくれたことを今でも鮮明に覚えています。
どうあがいたって過去に戻ることは出来ない。
今でも、うつにより一番つらい時期の母をもっと支えることが出来ていたら、と悔やむことはあります。
当時私は初めての子育てで手一杯で、母に何もしてあげれなかったんです。
そのうちよくなるはず、とくらいにしか思わずに自分のことしか考えていませんでした。
でも、今まで常に前を向いて駆け抜けてきた母の姿、母との思い出は一生消えることはない。
だから過去を否定することはないし今も否定することないし。
今は出来ることがある。
この様々な思いを胸にして
今の私に出来ることをやる。
受け入れるとか受け入れないとか
もはやどうでもいいのかもしれません。
いろんな想いを抱えながらでも母に寄り添うことは出来るから。
そうやって関わりの中で少しづつ
「受け入れること」が出来ればそれでいい。
この世に起きる出来事に偶然はないんです。
きっと、これも意味があって起きているから。
三歩進んで二歩下がりながら
二歩進んで三歩下がる日があっても
それでも歩みを止めなければいい。
これが私の人生だから。
今日改めて胸に誓った。
大丈夫、
少しづつでもいいから
前を向いて歩いていこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?