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すいめいさんのオープンダイアログに参加しました。(2023)

このところ、ご縁が続き「対話」に沁みる日々を過ごしています。
年始は娘と参加した、けんすけさんの「対話リトリート旅」
先週は息子と参加した「ダイアログインザダーク」


そして今回の「オープンダイアログ」です。

オープンダイアローグは、1980年代にフィンランドの西ラップランド地方にあるケロプダス病院で始まった。患者や家族から連絡を受けた医療チームが24時間以内に訪問し、ミーティングを行いながら症状緩和を目指す療法だ。
 ミーティングの参加者は患者、家族、医師、看護師、セラピストらで、1回当たりの時間は1時間半程度。参加者全員が平等な立場で、症状が改善するまで毎日行われる。
 「ミーティングは全員が発言し、医療チームで行われる話し合いもすべて患者さんの前で行います。薬物治療や入院は極力避けますが、必要な場合には患者さんを含めたミーティングで決定します」と斎藤教授。
 オープンダイアローグを導入した西ラップランド地方では、統合失調症患者の入院治療期間が平均19日短縮され、通常治療では100%の服薬が必要な患者の割合は35%にとどまった。2年後の調査で症状の再発がない、あるいは軽いものにとどまっていた患者は82%(通常治療50%)、再発率も24%(同71%)と大きな成果があり、世界各国で導入が進んでいる。
時事通信の記事より

というわけで、精神医療の現場からスタートしている手法のひとつなのですが、様々な場で可能性があるのではと、取り組みが広がっているところです。

今回参加させていただいたオープンダイアローグは、トラウマインフォームドケアアドボケイトとのコラボレーションということもあり、ご参加されていたのは、以下の方々です。
公認心理士、児童相談所長、スクールソーシャルワーカー、看護士、社会的養護ユース、アドボケイト、弁護士、児童精神科医、若者自立の団体の代表、大学教授...and more

会の主催はアドボカシーの研究者栄留さん
ファシリテーターはすいめいさん、ほか
トラウマインフォームドケアのいぶきさん
心理士の藤本さん でした。

ここまでで、恐らく聞き慣れない言葉が続いている方、、すみません。
私のライフテーマである
「子どもが心で未来を選ぶ」ということにはどれも必要なエレメントと感じ、現在学びを深めている分野です。

そしてもう一つお伝えしておきますが、実は今回のイベント、いつもの様に活動を紹介する写真はありません。
会に参加して、あの場でシャッターを切るという行為がどうも相応しくなく感じました。振り返って、今思えば相談すればよかったという思いもあったのですが、、。そのため、いつも記録用に使えればと撮影する行為を、この日は開始から早い段階で手放しました。

オープンダイアログ参加してみて率直な感想は
主に次の2つでした。
・場に委ねていく勇気をもてるか
・気持ちと一緒に動く大切さ
少し解説します。

<場に委ねていく勇気をもてるか>
ひとつひとつの進め方や持ち方を、ファシリテーターの方(すいめいさん)はその場に委ねていくという形で行なっていました。
その中で「準備はするけど計画は立てない」という言葉がありました。ファシリテーターの方がいらっしゃっても会がどう進んでいくか全く見えず、個人的にハラハラ感じていました。
(ひと昔前のあまり待てない自分だったら、誘導して場を回してしまっていたかも、、笑)
しかし振り返ると、そのハラハラする気持ちこそ当事者意識をもてているということだなーということも感じました。委ねる力すごい。

スタートでは、チェックインをした後に自己紹介をしました。今回はそこまでで90分ほど(参加は約20名)だったのですが、本場フィンランドのオープンダイアログは自己紹介に半日くらいはかけるそうです。そのくらいお互いを理解していくという行為は重要な要素なのですね。

そして、オープンダイアログでの対話の節目には「リフレクティング」というセクションが入ります。私も初体験でした。
 今回はそれぞれの自己紹介を受けて、今後をどう進めていくかをファシリテーターが相談(リフレクティング)していました。その行為自体が公開(みんなのいる前で行われる)され、参加者はそれを拝聴することができます。慣れていないこともあり、この時間は全体に独特の緊張を感じました。

相談て個別に行うものでしょ、と思っている私たちは、特にコメントもできないまま、参加者同士お互いに戸惑っている空気も感じます。なんとも言えない、それをモヤモヤというか、そんな漂う時間を共有しました。

その後、ファシリテーターからリフレクティングで話されたことを全体に共有し、さらにその場で進め方について、議論を展開していきます。
ひと昔前の私なら、この時間をもどかしくて耐えられなかった感じもしますが、アドボケイトや対話での研修や体験を経て、不確実性に耐えることやモヤモヤを持ち続けることなどを知り、少しずつ心身が馴染んでいくのを感じています。少なくともその時間の空気を感じ、場に居続けることはできる様になりました。
その際、ちょっとつらかったり、居心地の悪さを感じたら、トイレにいくなど場を離れたり、飲み物を飲むという行為を入れて、自分の中で流れを変えたり整えたりしています。

<気持ちと一緒に動く大切さ>
人と会話したり、議論をしたりなど、大体の言葉を通じたコミュニケーションは予め方向性が決まっていたり、こういう方向に持っていくという前段があったりすることがほとんどに感じます。
それがたとえ友達との会話でも、恐らくそれが全くゼロの状態というのはないし、その中で相談しているのに、とても誘導されている気持ちが湧いてきて、後半気持ちがつらくなると感じることも時にはあります。
 オープンダイアログでは、場に気持ちをそれぞれが置き、共に動いていく心地よさを体感しました。

そして、気持ちが変わっていく様に意見も変わっていくことを恐れない空気がありました。
普段は思考が変わることを悪しきことと捉えたり、相手にも「さっきと言っていること違うじゃん!」と考えてしまうことが、日常に溢れている気がします。
大人より倍速で動いている子どもたちには、意見が変わることはさらにあり得ると思うし、そのことを受け入れてあげられていなかったことも多かったな、と反省です。

私は対話を通じて、言葉を頭で理解することと、心に染み込ませていくことの違いをなんとなーく感じ始めています。およそ日常では頭で理解をして進めていくことが9割。
それが対話の場では、気持ちと一緒に動いていく大切さを知ります。
気持ちと一緒に動くことができると、とても心地よさを感じるし、体温が上がってくるのを感じます。なんとなく細胞が喜んでいるというか。

逆に気持ちが残っていると、何か澱みを感じます。でもその澱みの状態を自覚できることも大切なことだと同時に気づきます。

当日の私は、日勤〜夜勤を経ての参加でした。そのためチェックインの時に「午後になったらたぶん気持ちが微睡む時間があると思います」と初めに伝えられたのもまた心地よかったです。
宣言通り?少し午後はふわーっとしながらも1日、とても温かな時間を素敵な方々と共有させていただくことができました。身体は疲れているはずなのに穏やかにいられているというか。何か開いている感じもしました。

オープンダイアログを習得していきたいと感じましたが、枠にこだわらず
この様な場が創れる人で在りたいと思いました。

また気づきを追記していきたいと思います。

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