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障害者枠のパート清掃体験談。

32歳の時、3年間勤めたB型の作業所を卒業して、病院のパートの清掃の内定を取る事が出来た。

ジョブコーチもつき、3ヶ月ぐらい職場に来てもらって間に入ってもらった。

初めての障害者雇用。

5ヶ月ちょっと働いた。

病院は精神系で、8:30〜12:30の4時間で週5日。

家から近く、バスで障害者手帳の割引きを使いながら通勤していた。

そういえば、早く着くのも嫌なので近くのスーパーのベンチに座って時間潰しや、雨風しのいだりしてたけど、いつも決まった時間にいる男性がいて、スマホで音楽を聞いており、爆音で音漏れが酷かった…。

迷惑だし、私は過敏なのでそれが気になって仕方なかった。

給料は6万6千円ぐらい。多い月は7万もらってた。

基本給も低くく、最低賃金だったな(´•̥ω•̥`)

良かった所は賞与が2回あり(4万円)、コロナ手当がもらえたこと。

賞与もらう前に辞めてしまったのが不甲斐ない。

コロナ手当は辞めてから5ヶ月経って振り込まれた(5万円)。

【1日の仕事流れ】

  • ゴミ集め、患者さんのポーター変え

  • 掃除機

  • モップがけ

  • 茶タンク掃除

  • 手摺をふく

  • トイレ掃除

  • 患者さんのコップ、歯ブラシ、エプロン洗浄

ゴミ捨ては雨の時、傘さして行ってたな。
茶タンクの掃除は、優しい他の部署の人が手伝ってくれるから、癒しだった。とても優しい人だった。

手摺ふきはゆっくりしてたな。早く終わってしまうこと多くて。

トイレ掃除…カオスだった。
壁にまで汚れがついてた時があり、慣れないうちは嘔吐しそうだった。看護師さんによく相談してた。まぁ、今思えば清掃はそれがつきものだと思う。だから、その苦労を補う為に賞与が出るんだろうなって。

茶タンク以外はもくもくと1人でやる作業なのだが、私は最初は平気だったけど、慣れてくうちに孤独感が増え、寂しく辛くなってしまった。作業所は皆で同じ部屋で、グループ作業が多かったから。

私は、作業所でもそうだったけど休憩時間、お昼などの過ごし方が苦手で苦しくなる所があり、朝早く職場につき同僚とたわいもない会話をするのがダメだった。

苦手な上司と話すこともなく、同じ空間にいることが段々と耐えられなくなって行った。

しかも、周りは健常者だし障害者は私だけだし。

孤独だった。

楽しかったこと、嬉しかったことは休憩室の自由に貰って良いお菓子が高級だったこと、タイムカードを使えたこと、シフトの紙をもらえたこと、最低賃金だけど社会に出て、お給料をもらえたこと。姉に、SUQQUのアイシャドーを買ってあげれたこと、ホームベーカリーを買えたこと。

なぜ清掃を選んだかと言うと、障害者枠の求人は清掃が多かったので妥協したのと、当時は自分が出来る仕事が清掃しか思いつかなかった。学歴・資格・年齢も不問だったから。

もっと障害者が出来る職種が増えないだろうかと当時は疑問に思っていた。

辞めた理由は、汚れに慣れなかったのと苦手な上司と、精神科だから鍵の管理が難しかったことで。

コロナ禍でのジョブコーチは大変で、間には入ってくれたけど限界があった。


やはり続かなかった( ´•̥_•̥` )

パン屋のパートよりは、2ヶ月多く続いたけどね。

私に合う仕事は何なんだろう…。

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