華の女子高校生

あれから、日数が経った。
中学を卒業する前に別の親友と広島にいった。
大和ミュージアムで戦艦大和を見て、臼淵大尉の遺影の前で泣いた。その親友は両親の都合で日本を離れ、アメリカに行った。

今日から私は女子高校生になった。
女子高なので周りは皆女だ。
若い先生に恋する生徒や妊娠出産、仕事派遣が見つかって高校中退する生徒が沢山いた。

携帯が見つかり、40名居た生徒がクラスに15人しか残らず中退した。なんて事もザラな高校だった。周りはバカばっか。地元では治安が悪過ぎると評判(?)の学校だ。金だけは積んでるので校舎はコンクリートで防音設備、どこかの大学並に綺麗だ。クーラーは全教室設置、体育館は全自動で席が動く(全部の席が自動で折りたためる)、学食では海鮮丼や定食なども出る。

離の校舎には、ソフトボール部専用のグラウンドがある。テレビにもよく出ている名門校。
まぁ、その裏側は真っ黒いんですが。。

僕は「バドミントン部」に入部しようと試みた。担任の先生に聞く。この部活は去年先輩達全員が辞めて廃部になったらしい。
高校生活初日で詰んだ。

それから、他の人達に話をしてなんとか18名位集まった。部活が再復活した。今となったら何故その部活が廃部になったのか……
考えもしていなかった。

私はある日、職員室の床に正座をしていた。
見上げると部活の顧問のキノコ先生が
鼻くそをほじりながら机に足を組んで、ほり投げている。この人は25歳の若い新任の先生だ。顔は色白でイケメンドS、数学の担任をしていて
ドMな生徒からは(?)人気らしい。

私の、部活に入りたいという申し出を断っている。どうやら声が小さい!!と文句を言っているらしい。私は家庭でもヒステリックで怒られ続けた結果、人前で喋ることが怖くなっていた。声が出るまで正座をさせられて、数時間ずーっと泣いた。「泣いたら帰れると思うなよ?ちゃんと言えるまで、帰さねぇからな!」顧問からずっと呪文のように言われた。
3歳からバドミントン、小学校ではテニス、中学では卓球部だったので運動部とはこういうものだと思っていた。なんとか入部にこぎすけ入部。経験者だった私はすぐ顧問から技術を褒められた、嬉しかった。泣きながら習っていて良かった…バトミントンは楽しい、そうその当時は思った。それから、自転車で事故。からの入院。ここから全てが狂ったように思う。

顧問の先生から
防音室に呼び出されて土下座、足で蹴られる。

高校生活全てのことは記憶にはない。沢山色々なことがありすぎて、もう話すのがめんどうなので心の内に秘めておく。

霊能者の彼女。
レズの親友にそっくりな子。
私の援交漬け三昧な日々。

援交に関して、家の中に居場所が無かった。

さて、気づいたら高校を中退した。
お金が無いと専門学校には行けせて貰えず
高3で通信高校(スクーリング型)、コンビニアルバイトを1年続けた。通信高校では死んだ目をしながら勉強して、体育にぼっちで出て必要な単位だけを取る。その繰り返し。担任の先生には睨みつけた態度を取ったり……だって、母校の担任の先生じゃないから……。
悲しかった。こんなの私の先生じゃない。

それから、別れた元カレと同じ美大に進学、
中退。
もうこの頃から病気だった。

この頃はもう思い出したくないので、
これ以上書かないでおく。

おしまい。




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