生きていく、幸せとは?トラウマ、人生について。
無理せず生きていく
圭一にゃんころ。
僕が精神障害者になるまでの記録。
あれから、日数が経った。 中学を卒業する前に別の親友と広島にいった。 大和ミュージアムで戦艦大和を見て、臼淵大尉の遺影の前で泣いた。その親友は両親の都合で日本を離れ、アメリカに行った。 今日から私は女子高校生になった。 女子高なので周りは皆女だ。 若い先生に恋する生徒や妊娠出産、仕事派遣が見つかって高校中退する生徒が沢山いた。 携帯が見つかり、40名居た生徒がクラスに15人しか残らず中退した。なんて事もザラな高校だった。周りはバカばっか。地元では治安が悪過ぎると評判(?)
あれから精神科に通って、もう中三になっていた…中二時の記憶は無い。受験の時期で英語の家庭教師を付けていた。行く高校はどうするのか?という進路の話し合いで、いじめで卓球部~美術部に転部した先の美術部の先生が担任だった。授業でも、部活でも一緒だった。1回酷くおこられていて、その先生の事は怖かった。その人は、坂本龍馬の子孫で、なんでも鑑定団にも出たことがある人だ。 進路相談で表情が暗くなる僕。 「行ける学校が…無いです」そう答えると、 私立の女子高校生を進められた。行ける学校があ
僕は中学生になった。 新しい制服、新しい教科書。 新しい学校の生徒とのクラス。 小学校のクラスの友達とは 全てバラバラになり、 話すことも目を合わすこともなくなった。 何もかも馴染めなかった。 同じクラスの女の子が大人びて見えた。 幼稚園から習っていたバレエを中1で辞めた。それから、常に母親は僕にだけ、 ヒステリックが強くなっていった。 家に帰れば、犬の散歩、餌やり、洗濯畳み、アイロン、料理、掃除、勉強。家事は母親の決めたルールに毎回沿ってやらなければ、ヒステリックが
小学校4年生の時だ。 勉強できなかった組で居残り勉強を毎日やって、F君とは毎日ふざけて遊んでいた。 女の子の友達も適当に居た。 そんな中、横浜から 転校してきたという女の子が現れた。 ショートボブで可愛い。Yちゃん(仮名)。 植物観察の授業で2人で絵を描いていた プロの漫画家くらいのレベルの絵を描く彼女に絵が好きだった私はとても感激した。 この子の事をもっと知りたいと思った。 沢山お喋りをした。アニメの話やお互い飼ってる中型犬の犬の話をした。 小学5年生はクラスが離れて
幼稚園の記憶はほぼ無い。 そのまま、小学校に入学した。 入学式なんてものは覚えてもいない。 6歳違いの姉のボロボロのランドセルを与えられた。特に反論はしなかったようにおもう。 1年生の時、初めて自由帳に絵を 書いた、楽しかった。 1人で下校したある日、 一目惚れをした男の子がいた。 うきた よういちくんだ。 友達と帰っていたうきたよういちくんに 声を掛けようとした。友達になろうって。 「ぁ……ぁの……」 「……?なんや、おまえのランドセルボッロボロやなぁ!おまえン家
俺の名前は、けいと。 自分には、この当時の記憶はない。 情報として持っているので書こうと思う…。 ーーー 3歳から、バレエを習わされていた。 幼稚園に入っても、お菓子を食べる時間(15時)になると隣の体育館でバレエの講師からの本格レッスンが始まる。毎日皆がお菓子を食べる姿を横目に渋々レッスンに向かっていた。先生は目を光らせていて、手を叩きながら大声を張り上げる。毎日、母親が迎えに来るのを待機する部屋は皆がお菓子を食べたり遊んだりして交友関係が出来ていた。僕だけバレエのレッ
トラウマ等は紙に書くことが多かった。 書きすぎて手が痛くなる事がないので、 こういうツールは便利だな。と思う。 僕がもし死んだら…… 誰か発掘してくれないだうか。 ーーー 最近は鬱が悪化した。 平日はほぼ引きこもりだ。 家事もせず、何もせず、ただ何もしない。 毎日死にたくなって、前にAmazonで買ったロープは未遂で終わった。失敗すれば、医療保護入院であの生地獄に入れられるんだと思うとこわい。僕が人から人生を無茶苦茶にされたみたいに、僕が死ぬ事で人に迷惑をかけ、人の人生