自殺未遂

僕は中学生になった。
新しい制服、新しい教科書。
新しい学校の生徒とのクラス。

小学校のクラスの友達とは
全てバラバラになり、
話すことも目を合わすこともなくなった。

何もかも馴染めなかった。
同じクラスの女の子が大人びて見えた。

幼稚園から習っていたバレエを中1で辞めた。それから、常に母親は僕にだけ、
ヒステリックが強くなっていった。

家に帰れば、犬の散歩、餌やり、洗濯畳み、アイロン、料理、掃除、勉強。家事は母親の決めたルールに毎回沿ってやらなければ、ヒステリックが飛んでくる。「お前が将来困らないように怒ってるんや!!!」皿やコップをガシャンガシャン言わせながら、母さんが洗い物をし直している。
お風呂に逃げても、部屋に逃げても、
追いかけてきて鬼のような形相でこちらを睨みつけながら、金切り声を上げる。

「あんたは勉強できないんだから、行く高校無いわよ!!!どうするのッッ!?!?」
毎日胃がキリキリした。

毎日毎日毎日、学校でも家でも居場所が
無かった、つらかった。
もう楽になりたい。と思った。
そんなある夜、

(そうだ…この薬を全部飲んだら死ねるかもしれない。)そう思った。ルル150錠とビタミン剤。

1階で母親がヒステリックで物に当たっている
ドスン、バタンと言う音が響いていた。家ではいつも緊張していた。きが休まった事が無かった。その時は、死にたいというより、逃げたい。という想いの方が強かった。
ルルの錠剤をザラザラと大量の水と共に
飲み込んで行く…。糖衣の甘ったるい味が喉を擦れていって、飲み干す頃には気分が悪かった。薬を飲んですぐベットに入った。

「明日から…もう一生
目が覚めませんように。」

そう強く願って、目を閉じた。

悪夢を見た、酷くうなされて
汗だくで目が覚めた。5時だった。
失望した。 今思ったら、この程度の風邪薬なんて死なないプチODにしかなってないのだが、
当時は必死だったように思う。

胸焼けが酷いまま、朝食を食べずに学校へいく。(いつも食パンか牛乳しか食べない)

Yちゃんが楽しそうに話しかけてくる。
僕は死ねなかったことに気が動転していて、
話が全く入ってこなかった。
その後、記憶にはないがYちゃんに話していたらしい。泣いてYちゃんが先生に報告していた。その後、学校と両親を巻き込んだ大事になった。母親と家庭裁判所に行った。この時、
初めて精神科に受診した。初めての事に戸惑った。ここから僕の人生は、真っ暗な洞窟の
入口に入ることになる……。



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