見出し画像

新たな出会い

実家に帰った私は、やる事が無くなった。

しかし、有難いご縁が繋がっていて劇団四季をやめた同志から、大阪でダンススタジオを開くので一緒に講師をしてくれないか。
という願ったり、叶ったりのお誘いが来る。

私はダンススタジオではジャズダンスのクラスを受け持つ事になった。

大阪駅から近い場所だったので、会社帰りのOLさんや学校の先生、それから劇団四季を目指す学生さんなど色んな年齢層の方がいた。

人を教えるというのは本当に難しいなぁと思った。
初心者さんには、まず踊る楽しさを感じてもらう事が大切だし、劇団四季を目指す経験者さんには技術や表現を向上しなくてはならない。

皆んながそれぞれ満足出来るレッスン内容を考えるのが毎回大変だったが、生徒さんが一生懸命で根性のある方ばかりだったので、やり甲斐はとてもあった。

発表会も開催した。

構成や演出や衣装を考えるのも初めてだったけど、自分の頭の中の考えが具現化されるのが凄く楽しかった。

初めて尽くしの経験をさせてもらい充実した生活だったけど、やはり私は自分自身がまだまだ舞台に立ちたいと思い続けていた。

そんな時、元宝塚歌劇団の方から知り合いのプロデューサーさんを紹介してあげるから、商業演劇に出てみないか?というお誘いを頂く。

商業演劇とは、芸能界の有名な方を中心(座長)に、芝居やショーをする舞台である。

お誘い頂いた公演は北島三郎座長の公演だった。芝居とショーの2本立ての公演でダンサーが20人いる華やかな舞台だった。

やっぱり私は人に恵まれている。
私の舞台人生は、ほぼ人のご縁で続けてこれたんだなと。

今でもはっきり覚えている。
初めてのショーのカツラ合わせの日。
場所は梅田コマ劇場(現在は梅田芸術劇場)の地下の稽古場。
自分が本当にプロの世界に入れたんだなぁと実感した。
慣れた手つきで、床山さんが私の頭の形に合うカツラを次から次へと合わせてくれた。

また新しい世界に入れたんだと本当に嬉しかった。しかも今度こそ私がやりたかった舞台に果てしなく近い。

あのワクワクした気持ちは今でもすぐに蘇る。
おそらく私が出演させてもらった舞台の中で一番幸せな時間だったのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?