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就活は「やりたいこと」がなくてもなんとかなった(前編)

今回は就活のことについて書いていこうかなと。

前も書いたけど、自分は就活でかなり紆余曲折あり、最終的にはご縁があった企業にシステムエンジニア(SE)として入社することになった。

いままでやってきた研究のバックグラウンドを捨ててまでSEになろうというのだから、それはそれは大層な目標とか成し遂げたいことがあるのだろうと思われるかもしれないが、それは大きな間違いである。

本当になんのビジョンもない。いやマジで。

就活はそこそこまじめにやったと思う。自己分析ノートを大量に書いた。様々な業界や職種、企業を研究した。ESは嫌というほど提出したし、Webテストや面接の対策もやった。インターンにも参加した。

でも、どんなにまじめに就活をやっても、「やりたいこと」だけは全く思い浮かばなかったのだ。

これは困った。なぜなら面接で嫌ってほど聞かれるのだ。「この会社に入って何を成し遂げたいですか?」「5年後、10年後のキャリアプランは?」「なんでこの職種に就きたいの?」…

周りの就活生の中には、「起業したい」とか、「化学の道に進んで素材に関わりたい」とか、「某テレビ局で教育番組を作りたい」とか、確たる信念を持っている人がたくさんいた。実際、彼らの就活はとても順調に見えた。まー焦った。

でもまあなんだかんだで、「やりたいこと」が無い自分でも内定は頂けたし、内定先の企業については良い出会いだったなと思っている。

というわけでこのnoteでは、「やりたいことなんかなくても何とかなるよ」っていうのを書いていこうかなと思う。

そもそも「やりたいこと」で仕事を決めるのはナンセンスなんじゃないか

早速怒られそうな見出しだけど、ちゃんと理由がある。

1つ目の理由は、「やりたいこと」ができるとは限らないからだ。

総合職採用だったら、どの部署に配属されるかは最後まで分からない。多少希望を聞いてくれはするだろうが、配属枠は限られるのだから、最終的には運である。

また、希望の部署、職種につけたとしても、やりたい仕事ができるとは限らない。面白くない仕事も腐るほどあるだろうし、やっと掴んだ仕事が会社の方針で白紙になることもあるだろう。

「やりたいこと」があって会社に入ったのにそれができない、からのくさって転職ではもったいない。だったら初めから「やりたいこと」なんてなくていいというのが持論である。

そして2つ目の理由は、たぶんこっちのほうが大事だと思うのだが、「やりたいこと」は変わるからだ。

大学生活を思い出してほしい。所属するゼミや研究室、サークルやバイトなどが、入学前にイメージしていたものと完全に合致する人なんて、ほとんどいないんじゃなかろうか。

自分の場合、もともと有機化学をやるつもりだったし、バイトは塾にするつもりだったし、弓道部に入部する気満々だったし、就職先はメーカーになると思っていた。でも結局は1つも合致していない。

たった4~6年そこらの大学生活でこれなのだ。40年にも及ぶ社会人生活において、就活中に思い描いたキャリアプランがそのまま遂行できる可能性なんてほぼゼロである。

就活前にビジョンも何もなかった人が、泥沼の自己分析と業界研究の果てに無理やり作った「やりたいこと」を信じ切って会社を決めてしまう。ありがちなパターンな気がするが、これが一番恐ろしい、と自分は思う。

「やりたくないこと」を考える

ここまで「やりたいこと」について散々こき下ろして書いてしまったが、「やりたいことがある人」を否定しているわけではないのであしからず。

将来のビジョンがあるに越したことはない。働くにあたって大きな原動力になるだろうし、就活も楽だと思う。ここまで書いたことは、やりたいことがなんもない就活生の、苦し紛れの言い訳みたいなものだと捉えて欲しい。

さて、就活生の思い描く「やりたいこと」に懐疑的な自分ではあるが、「やりたくないこと」に関しては、相当クリアにしてあげる必要があると考えている。

これは単純な話で、やりたくないことからは出来るだけ距離を置きたいからである。

甘ったれんなと思われるかもしれないが、そういうことではない。「やりたくない仕事」を回避出来るとは思っていない。でも、そのエンカウント率は、職種をきっちり選ぶことで減らすことができるはずだ。

例えば、「人と話すのが嫌い」なら営業職はやめた方が良いし、「頭を使いたくない」ならコンサルやエンジニアは避けるべきだ。「数字が嫌い」なのに経理になるのも頂けない。

こんな風に、「やりたくない」ことをどんどん挙げていき、「まあやってもいいかな」って思える職種を最終的に見つければいい。ネガティブな決め方かもしれないけど別にいいじゃん。やりたくない仕事を100%純度でやる方がキツいて。

「やりたくない」は「等身大」

さっきまで散々「やりたい」を蔑ろにしていた自分が、なぜ「やりたくない」を信用できるのか。

それは、「やりたくない」という感情が、「やりたい」と比べて「等身大である」という特徴を持っているからだ。

人間というのは将来の夢を語るとき、つい大風呂敷を広げてしまいがちだ。なぜなら、実際にそれを成し遂げるために努力する覚悟があろうがなかろうが発信できてしまうから。

それに比べて、「やりたくない」は素直な自分の感情であることが多い。「自分は本当にそれをやりたいのか」って自問することはあるけど、その逆はまず有り得ないよね?っていう。

以上の考えから、自分はまず「やりたくないこと」からガンガン職種を絞っていって、最終的にSEにたどり着いた。でも、それだけでは志望する企業は決まらない。最終的には「ここがいい!」って思えるとこまで持っていかなければならないが、それは後編にて。

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